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「ハオ!ハーオってばぁ!」

 すぐ傍で威勢のいい声に呼ばれ、僕は目を開けた。
 眩しい日の光。
 天上の木目を背にした、自分と相似する顔。

「……葉?」
「起きろよ、学校遅れんぞ」

 いまいち状況が飲み込めない。
 辺りを見回すと、どこか見覚えのある景色だった。
 壁の色。畳の匂い。家具の配置。
 全てどこかで、見たことがある。
 どこかで……。

「……麻倉……の、家……?」

 そうだ。細かい所は思い出せないが、確かにここは麻倉家の一室。
 僕がそう認識した瞬間、同時に理解もできてしまった。
 これは夢なのだ。

「夢の中で夢だと判っているとは、奇妙だね」

 独り言を呟きながら廊下を適当に歩いていくと、いつの間にやら台所に着いた。
 とは言っても、麻倉家の台所なんて僕が知るはずもないから、恐らくは僕の勝手なイメージなのだろう。
 人の気配に気付いた茎子が、振り返って微笑んだ。

「おはよう。御飯、早く食べちゃいなさい。遅刻するわよ」
「そうだぞ。先生に怒られるのは、いっつもオイラなんだからな」

 お前は要領ばっか良くってよ、と頬杖をつく。
 唇を尖らせたその仕草が、とても幼い。
 どうやら夢の中の僕等は、小学生であるようだ。それも、低学年か中学年の。
 ふと見ると、箸を持つ自分の手も、小さく丸い子供のものだった。

(……まぁ、いいや)

 夢ならば醒めるまで楽しんでやるさ。
 開き直って味噌汁を口に運ぶ。
 夢の中の食べ物には味が無いというが、とりあえずは味噌の味がした。しかもちゃんと温かい。
 葉が、別段急かす風でもなく言った。

「あー、こりゃ完璧チコクだなぁ」

 ――――――気が付くと、道を歩いていた。
 家から出た記憶は無いが、何といってもこれは夢、場面が突然変わっても何等不思議は無い。
 見上げた空は、とても高く感じた。身体が小さいせいだろうか。

「……青過ぎる」
「んあ?」
「今の僕には、この空は青過ぎる。畏れさえ感じるよ」
「オソレ……?オイラは青い空、好きだけどなぁ」
「ああ、僕だって好きさ」

 葉は判ったような判らないような顔をして、石ころを蹴った。

「なぁ、さぼっちまおうか」
「ん?」
「学校。こんないい天気なんだ、教室の中に篭ってるなんて、勿体ねぇと思うんよ」

 それには僕も賛成だ。
 僕等は通学路を逸れて、日当たりの良い河原に出た。心地良い風が頬を撫でて過ぎていく。

「軽いなぁ」

 葉が呟いた。

「何がだい?」
「身体。っていうか心かな」

 水が、さらさらと音を立てて流れる。

「空でも飛べそうな気分だ」

 そう言われて、初めて気がついた。
 巫力。巫力を感じないのだ。
 重く有り余る、あの力。
 自分以外の何者も寄せ付けることはない、あの能力。
 それが、無くなっている。

「……じゃあ」

 巫力を持たぬシャーマンなど、シャーマンに非ず。

「今の僕は……人間?」

 弱く、欲深く、醜い生き物。滅ぶべき生物。
 この夢の中で僕は、ただの愚かな人間に成り下がっていた。

「何言ってんだよハオ。人間は飛べねぇんだぞ」

 なのに、何故だろう。
 不思議と嫌悪感はない。
 不安でもない。
 ただ、解き放たれたような感覚だあるだけ。
 それだけだ。

「そうかな」
「ん?」
「飛べるさ、人間は」

 飛べる。どこまでも。
 力など無くても。いや、無いからこそ。
 だからこそ僕は人を恨み、憎み、諦め……羨みもしたのだ。
 今となっては、もう何の意味も持たないけれど。

「お前が言うと、そうだった気もしてくるな」
「だろう」
「みんな忘れてるだけで、ホントは飛べたかもしんねぇしな」
「そうそう」

 適当な相槌。
 そうだろうか。本当に適当なのだろうか。
 もしかして僕は、僕は心から、そう。
 そう思っているのでは、ないだろうか。
 忘れているだけで、本当は。
 本当は……。

「みんな、飛べるんかもなぁ……」

 ここに、居てはいけない。

「醒めない夢」
「……何か言ったか?」

 夢を見ない夢を見ない夢など見ない。
 自らが燃え尽きる夢だけ自らの力に喰われてゆく惨めな夢だけ。

「ならいいなと、思っただけだ」

 それ以外の夢など見ない見ない見ない。
 お前はどうして、ここはどうして、どうして、どうしてこんなにも。
 意識が混濁し始めるああそろそろ終わる終わる終わりだこの夢は。
 終わりだ。

「でもそんな夢、あってはならないね」
「はぁ?いちいち判らん奴だなぁ」

 もう二度とは逢わぬ、夢の中の半身よ。
 逢えて良かったよ。
 それくらい、想わせてくれ。
 
「でも、判らんお前が好きだけどな」

 最後に見たのは、笑顔、だった。

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