銀色の妖精
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 家々の屋根が、最後の夕焼けに染まる。
 こんな小さな街でも、クリスマスの色はそこ此処に浮かんでいた。
 庭先に置かれた雪だるまの形のライト。木に飾りつけられた色とりどりの電飾やオーナメント。
 白いスプレーのサンタとトナカイ……それらが描かれた窓の向こうには、ツリーの灯りが見え隠れしている。
 どこからか聴こえてくるのは、幼子の歌う舌っ足らずなジングルベル。
 側にあった電柱にもたれて、哀は溜め息をついた。

「はぁ……」

 息が白く凍る。暖かくしてきたつもりだが、やはり長時間じっとしているのはこたえた。
 飛んでゆく鳥が、寒さに凍えて落ちてしまいやしないだろうか。
 そんなことを思いながら、それでも哀はずっとその場に立っていた。
 乾いた空気が、咽喉の奥にはりついている。

(6時……)

 振り返ると、ちょうど小学校の大きな時計が目に入る位置に哀は居た。
 5時に小学校前。それが約束のはずだった。
 夏ならば話は別だろうが、辺りはもう、夜と言えるほど暗くなっている。
 気が付くと、たくさんの家の明かりが、外の暗がりの中に浮かび上がっていた。
 外が暗いと、レースのカーテン越しでも家の中が透けて、よく見えてしまう。
 覗き見るつもりはなかったが、何か気を紛らわせていたくて、哀はついひとつの窓を見つめていた。
 それは、ごく普通の家。小さなリビングに、両親とまだ幼稚園くらいの女の子がひとり。
 何となく、部屋の明かりが瞬いているように見えるのは、きっとツリーの電飾が点滅しているからだろう。
 声は聞こえないし、表情もよくは見えない。
 けれど。
 けれどなんて、あたたかいのだろう。
 たまたま目に付いただけの光景から、哀は目を離せずに立ち尽くした。

(私の……クリスマスは?)

 記憶をたどる。
 まだ、自分がとても小さかった頃。何も知らない、子供だった頃。
 サンタは家に来たのだろうか。ツリーやケーキはあっただろうか。
 傍には誰が居たのだろう……。
 必死に手繰り寄せても、思い出すのは味気ない、知らない大人ばかりに囲まれた志保のクリスマスだけ。
 その時志保はすでに、サンタは自分の所には来ないことを知っていたし、ツリーやケーキなんて自分には必要ないと思っていた。
 ただ純粋に、クリスマスを心待ちにした子供の頃が、自分にもあったはずなのに。

(……そんなもの、ホントにあったのかな……)

 ふと、姉と過ごしたことがあったのを思い出した。幸せだったあの時。
 きっとあんな風に、あたたかい明かりの中に私も居たのに違いない……哀は、そう思って少し胸を熱くした。
 しかし同時に思い出してもいた。それでも夜は、ひとりぼっちで眠ったのだということを。
 不意に、窓の向こうから笑い声が聞こえて、哀は記憶の海から引きずり戻された。

(あたたかい家で、家族と過ごして……あったかいベッドで眠りに就くの……)

 胸をわくわくさせる、プレゼント。その箱に掛けられた可愛いリボン。
 でもそれよりも嬉しいのは、父の笑顔と、抱きしめてくれる母の優しい腕。
 そんなものは知らなかった。いつもひとりだった。
 父の声も、母のぬくもりも知らず、ひとりぼっちで夜を過ごしていた。
 部屋は暖かい。だけど冷たいシーツ。
 普通、普通でいいの。トクベツなんて、要らない。
 プレゼントもツリーも、本当は無くてよかった。
 ただ、あたたかい光の中で、あたたかい腕で、抱きしめて欲しかった……。

(………………時間は?)

 じっと凝視していた窓から目を離し、時計を振り返る。
 だが既に、その文字盤が見えないほど辺りは暗くなっていた。









 駅前に出れば街は明るかった。
 人通りも多く、家族連れや恋人同士の男女、友達グループ、家路を急ぐ会社帰りのお父さんの姿もあった。
 誰も彼も、幸せそうだ。それぞれに色んな過去や現在があるのだろうが、それに負けない幸せを、彼らは今感じているのだろう。
 街を彩るイルミネーションがとても綺麗で、哀は早足になった。

「!」

 ふと、地面ばかり見ていた哀の視界に入ったものがあった。
 反射的に顔を上げる。

「………………」

 大きなクリスマスツリー。米花町の目玉で、この時期ローカルニュースにもよく取り上げられているものだ。
 その迫力はブラウン管を通して見るより遥かに大きく、美しくて、哀は思わず息を呑んだ。
 天辺の星が、願いは何でも空に届けてやるという様に輝いている。
 待ち合わせのことを思い出して、胸が痛んだ。
 今、哀が目の前にしているツリーは、本当は二人で見ようと言っていたのだった。

(私は悪くないわ……時間通りに来なかったのは、向こうだもの)

 そうよ、私は怒ってもいいのよ。どうして約束を破ったのって、彼を責めてもいいのよ。
 それなのに、もみの木の放つ光を見ていると、無性に悲しくなるのは何故だろう。
 胸に込みあげるものを吐き出すように、哀は大きく息をついた。

「……逢いたいの」

 同時に、言葉がこぼれる。

「ひとりにさせないでよ……あなたまであたしを……ひとりに、するの……?」

 今日の約束を彼が口にした時、素直に嬉しかった。
 子供のように、クリスマスが待ち遠しかった。
 感じたことのない、喜び。
 ひとりじゃない、という。
 もちろんそれだけの喜びじゃないことも、知ってはいたけど。

「逢いたかったのにっ……」

 今はただ、置き去りにされたみなしごの、深い空虚のなか。
 あたたかい灯の光も、幸せな笑顔も、窓一枚隔ててあふれている。
 それなのに、どうしても、掴むことはできないのだ。
 どうしても、どう足掻いても触れられない。
 どうして。
 どうにもならない寂しさと苛立ちが、言葉となってほとばしっていた。

「逢えると思ってたのに……!今日は……どうしても……逢いたかったのに……」
「悪ぃ!!」

 突然、後ろから声がした。
 本当なら今頃、すぐ隣に聴こえるはずだった声。

「ごめんなさいっっ!!!」
「え……?」

 息を切らせて現れたコナンは、哀の顔を見るなり、思いっきり頭を下げた。
 それは下手をすると風を切る音まで聞こえてきそうなくらいで。
 たっぷり5つ数える間ののち、コナンは呆然とする哀の顔に視線を戻してしどろもどろになりながら、

「あの……!どうしてもさ……その、お前に渡さなきゃ……渡したいものがあって……」
「…………………」
「で、でも見つかんなくて!!いや、もっと早く用意しとけばよかったのに、絶対あると思ってたところに無くて……!」
「…………………」
「それで探してたら、いつの間にかこんな……ホントに悪かった……っ!!」
「…………………」
「お……怒ってる……よな……?」
「何なの?」
「へ?」
「探してたものは、何なの?」

 今は立場の弱いコナン。言われるままにジャケットのポケットから、小さな箱を取り出した。
 特に飾り立てられたわけでもない、至って上品なデザインの小箱。
 ラッピングなどが一切されていないのは、見つけてすぐにここへ……いや、小学校を通ってからここへ飛んできたからであろう。
 哀が開くと、中には金色のネックレスが綺麗にしまわれていた。
 それも箱と同じようにシンプルなデザインで、しかし細く繊細な金のチェーンは、触ると溶けてしまいそうに美しい。
 ペンダントトップもまた、しなやかに曲線を描く金のリングだけが輝いている。

「……もとは母さんのなんだけど……ホラ、うちの母さんって、こっ恥ずかしいこと好きだからさ」

 それは、有希子がある日突然新一に手渡したものだった。
 こんな女もん着けねーよ!と突っ返そうとした息子に、有希子はウィンクをして、
『バカね!新ちゃんが着けるんじゃないわよ!』
 と言ったのである。
 これはいつか新一があげたいと思った誰かにあげるといいわ、その日まで大切にしまっておきなさい、と。
『そう、いつか新ちゃんの……』

「オレの……その、大切な……人に……」
「……!」
「あっでも!あの深い意味はなっ……いやっ、あるけど!だからその……!」
「ねぇ」
「え!?」
「このペンダントトップ……知ってて渡してるの?」
「ペンダントトップ……?」
「……指輪だけど」
「!!?」

 途端に真っ赤になる。当然だ、指輪とネックレスじゃ、その意味合いは大違い。
 果たして本当に知らなかったのか、気付かれないと思っていたのか……それは判らないが。

「……っ!!し、知らねぇ!!知らねーって!!だからそーゆう意味じゃ……!!」
「…………………ふっ」
「は、灰原……?」

 必死に否定する姿を見て、哀の口元に笑みがこぼれた。
 いくら照れるからってそんなに否定するのは、普通は逆効果だ。
 それに気付かないのが、彼らしくて何だか可笑しかった。

「ふふ……まったく……あなたって人は……」
「あ、あはは……」
「ふふふ……ふっ……く、うぅっ」

 しかし、それも束の間。
 次の瞬間には、哀の声は涙に詰まっていた。
 こらえていたものが、凍りつかせていたものが、一気に流れ出す。
 安堵。
 嬉しさ。
 一人だったあの頃の寂しさまで、すべて。
 すべてが混ざり合って溶け出した、涙だった。

「……来ないと、思ったじゃない……バカぁ……っ!」
「灰原……」
「何よもぉ……!何よ……うっ……」

 しゃがみ込んで顔を覆ってしまった哀を、コナンはちょっと困ったように見つめた。
 白く滲んだ空から、銀のかけらが舞い落ちてくる。
 自分だけではどうしようもない何かの為に、哀が泣いているような気がした。
 とてつもなく大きくて、はかり知れない、何か。
 もしかしたら、ひとりのちっぽけな男の手に負えるような、代物じゃないのかもしれない。
 でも。

「ごめん」

 コナンは自分も膝をついて哀に高さをあわせると、その腕で哀の体をぎゅうっと抱きしめた。
 頬を寄せれば、哀の匂いを感じる。
 その髪も、細い身体も、とても冷たくて。
 まるで、今まで哀が居た場所の寂しさを物語っているように。

「ごめんな、オレ……お前の、思い出すと幸せになることが、オレとのことならいいなって……そういう二人の思い出を、作りたくて」

 腕の中で、哀がしゃくり上げた。

「なのに……なのにかえって辛い思い、させちまったよな……。ごめん、勝手だった……オレの我侭だっ……」

 そっと触れる人指し指。
 その感触にコナンの唇が動きを止める。

「……終わってないの」
「え……?」
「“今日”はまだ、終わってない……」

 顔を上げると、涙の跡が光った。一瞬、どきんとする。不謹慎かも、しれなかったが。

「ね。これ、着けてくれる?」
「え、あ……」
「着けてくれるわよね?」

 唐突に言われ、少々戸惑いながらうなずく。
 コナンは慣れない手つきでネックレスの留め金を外して、哀の首に回した。
 うなじにかかった髪を、そっと持ち上げる。
 自分から言い出したのに、哀はもうちょっとで「やっぱり、いいわ」と言いそうになった。
 留め金をつけ直すことにコナンはまだ手間取っていて、何だかじっとしていられない。
 肌に触れるネックレスのチェーンの冷たさに、やけに緊張している。

「……く、工藤君」
「……だぁってろよ」
「え?」
「黙ってろってば……バーロ」

 その言い方に、哀は思わず吹き出しそうになった。

(『オレの我侭』、ね……)

 ほんと、言われて最高に幸せな我侭よ。
 でも、そんなこと、教えてあげないんだから。
 哀はまだ四苦八苦しているコナンを見て、それから少しだけ首を動かしほとんど瞳だけで空を仰いだ。
 もみの木の天辺の星は、ひらひら舞う雪の妖精の中で、静かに光り輝いていた。

みなみ
Dec. 2003
[Love Laboratory]