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来なきゃ良かった。
そんな台詞が、まん太の頭に浮かんでは消える。
日曜日。穏やかなはずの昼下がりも、今の「炎」の中では無力。
時は少しだけ遡る――――――。
-- き ず な --
「こんにちはぁ――っ」
特に用があったわけではない。ただ、家は息苦しいし、何より葉くんたちと過ごす時間が僕にとって居心地のいい時なのだ。
だから僕は、今日も「炎」に足を運ぶ。そう、たとえ、アンナさんにコキ使われようと……。
「葉くーん、遊びに来た……、……!?」
もうお昼近いというのに、いやに部屋の中が暗い。いや、部屋の中の空気が暗いと言った方が正確か。
とにかく、いつもなら葉くんとアンナさんが寝っ転がって出迎えて(?)くれるはずの居間が、今日はそうじゃなかった。
「おお、まん太か」
いつもより低めのトーンで答えながら振り返った葉くんの、その表情といったら……。
眉間に皺を寄せ、目は据わっている。普段のユルい笑顔はどこへいったのか。明らかに怒りに満ちた顔だ。
怒っている。あの葉くんが……!
「……ったく……アンナの奴……!」
しかもアンナさん絡み!!
何があったのか知る由はないが、敢えて知りたくもない。
飲物貰うね〜、とワザとらしく笑いながら、ひとまず台所に非難した。
が、そこで僕は更に恐ろしい光景を目の当たりにしたのだ。
それは、何やらブツブツ言いながら、流しの前に突っ立っている……アンナさん!!
「何よ……葉ったら……」
こっちもか――――――!!
勿論、ツッコミは心の中でだけにしておく。触らぬ神に祟りなし。アンナさんの場合、触ってもないのに向こうからやって来たりするから、手に負えないんだけど。
――そんなわけで、台所よりは安全と判断し、居間に戻って現在に至る。その間、葉くんはずっと無言。漫才の番組を見ながらニコリともしないのだから、いっそう怖さに拍車がかかる。なんでこんな時に限っていないんだ、阿弥陀丸は……。まさか、逃げたんじゃ……。多分、そのまさかだな。
「!!!」
その時、スパーンッと、背後で襖が必要以上に勢い良く開いた音がした。
振り返ると、案の定、アンナさんが鬼と見紛うほどの形相で突っ立っているではないか。
一瞬の沈黙(僕にとっては数時間にも感じられたが)の後、先に口を開いたのはアンナさんだった。
「……実家に帰らせて頂くわ」
「え!?ちょっとアンナさん、何言って……」
「おお」
「って葉くん!?」
喧嘩するほど仲がいいってな二人だけど、今回ばかりはそうも言ってられそうにない。まさか離婚なんて事には……ってまだ結婚してないっつ――の!
そうこう言ってるうちに、手荷物ひとつで、アンナさんはさっさと出ていってしまった。
「止めなくて良かったの?葉くん」
「いいんよ。どうせすぐ帰ってくるさ」
ウェッヘッヘ、と笑うその笑顔にも、心なしか余裕が無い。ってゆーか明らかに無い。
「一体喧嘩の原因はなんなのさ」
「……それはだな、アンナの奴が……!」
「アンナさんが……!?」
「オイラが楽しみにしていたライブのチケットを捨てちまったんよ……!」
「……は?」
話はこういう事だった。
葉くんが取ったライブのチケットを、アンナさんが過って捨ててしまった。怒った葉くんはアンナさんを責めたのだが……。
『だから悪かったって言ってんじゃない』
『心が込もってねぇ!』
『うるっさいわね、大体ゴミと一緒に置いとくあんたが悪いのよ』
『何ぃ!?』
『あんた、自分の立場判ってんの?ライブなんか行ってる場合じゃないでしょ!?シャーマンファイトはもうすぐそこなのよ!!』
『うっ……』
『それと……。そのチケットのお金は、誰に断って出したのかしら……!?』
という具合に、逆にボコられてしまったのだそうだ。
その後、せめてもの抵抗として葉くんは、アンナさんと口をきかないという手段を取り、それによってアンナさんまで不機嫌になってしまったのだった。
「でもさ、アンナさんが素直に謝らないなんて、いつもの事じゃないか。そりゃ普通の人なら怒るだろうけど、仮にも葉くんが、何だって今更、ライブのチケット捨てられたぐらいで……ライブの……はっ!」
「………………」
「もしかして……ボブ?」
「はぁぁ〜〜、もう一枚買う金なんてないし、第一ライブは明日だもんなぁ〜〜」
そう嘆くと、葉くんは再び、大きな溜息を吐いた。
その夜。
まん太も帰り、ひとっ風呂浴びた葉は、ぼんやりとテレビの画面を眺めていた。
さほど音量をあげてもいないのに、妙に音が響く気がする。
「静かだなぁ、阿弥陀丸」
『葉殿……』
「さぁて、寝るとすっか」
テレビを消しておもむろに廊下に出ると、気味の悪いほどの静けさが、葉を襲った。
ここは、こんなに広かっただろうか。
廊下が、その向こうの暗闇に向かって、果てしも無く続いている様に見える。
布団に入っても、葉はなかなか寝付けなかった。
「阿弥陀丸」
返事は無い。
「何だよ、もう寝ちまったのかよ」
天井がいつもより高く感じる。
なんて静かなんだろう。
なんて広いんだろう。
なんて……。
(アンナ、帰って来なかったなぁ)
やがて月が沈み、空がしらじらと明るくなりかけても、葉はじっと目を閉じているだけだった。
「すみませーん、麻倉さーん!」
翌日夕方、僕が葉くん家を訪れると、配達のお兄さんが何やら喚いていた。
「困ったな……留守なのかなぁ」
「あの〜〜……どうかしましたか?」
「あっ、キミ、麻倉さん?良かったぁ、どうなるかと思ったよ。ハイこれ」
「?」
手渡されたのは一枚の速達封筒。表には「16時までに届けないと殺す」。……紛れも無くアンナさんの字だ。
哀れな配達のお兄さんは、殺される心配もなくなって、逃げる様にバイクで去っていった。
しかしあんなに呼ばれても出てこないなんて、葉くんは本当に留守なんだろうか。だとしたら、一体どこへ?
相変わらず鍵の掛かっていない戸を開けて、とりあえず僕は葉くんの名を呼んだ。
「葉くーん?いないの?何か郵便物が……」
「Zzz……」
「って寝てんじゃね――――――!!」
玄関先でぶっ倒れていた葉くんを叩き起こすと、彼は寝ぼけまなこでへらへら笑いながら、
「いやー、すまんすまん」
「ったく!すまんすまん、じゃないよ!学校休んでるから心配して来てみれば、もう夕方だってのに寝てるんだもん!しかもあんなトコで……!!」
「ウェヘヘ、夕べあんまり眠れなくてよ。一度はちゃんと起きたんだが、玄関で力尽きちまったんよ」
「もう……!アンナさんがいないとこれなんだから……!」
その瞬間、葉くんはハッとしたように僕を見た。
やっぱりだ。アンナさんも学校へ来なかったから、もしやとは思っていたけど……。
「やっぱり、帰ってないんだ」
「………………」
「……ねぇ、やっぱ迎えに……」
「放っとけばいい」
葉くんが僕の言葉を遮って、笑った。
「あいつはちゃんと帰ってくる」
こんな時、僕は、二人が少し羨ましくなる。
何があっても、信じていられる、繋がっていられる相手がいる事が。
それは友情と似ていて、でもまったく違うもの。
二人の絆の強さが、僕は素直に羨ましいんだ。
「……あ」
しばしの沈黙があって、ふと、僕は忘れていた事を思い出した。封筒……!
「そうだ葉くん!これ……」
「ん?この字……アンナから?何だこれ……」
もどかしい手つきで封を切り、中身を取り出してみると、そこには……。
「……これは……ボブのライブチケット……」
「アンナさん、急いで手に入れたんだ……」
何だかんだ言っても、アンナさん、すごく気にしていたんだなぁ。なんだか不覚にもじーんと来てしまう。
が、次の瞬間、とんでもない事に気が付いた。
「ってこれ確か今日のライブだろ!?もう出なきゃ間に合わないよ葉くん!!せっかくアンナさんが送ってくれたのに……葉くん?」
毎度ながら慌てているのは僕だけ。
葉くんはゆっくりと顔を上げ、一言こう言った。
「……行くか」
「……いつまでそうしとるつもりだい、アンナ」
いつの間にか夜になっていた。道理で部屋の中が暗くなるわけだ。今頃はちょうど、ライブが終わった頃だろう。あたしは木乃を無視して、畳の上に寝転がったまま動かなかった。
「やれやれ、突然帰ってくるもんだから何事かと思えば……ダンナと喧嘩したのが、そんなに堪えたのかい?」
「……あたしがそんなタマなわけないでしょ!自分で育てたクセに忘れたの?ボケるにはまだ早いわよ」
「口が悪いのだけは昔から変わらんねぇ、お前は。まったく夫の前だというのに」
その言葉にハッとして身体を起こす。
「……葉」
そこには、葉が立っていた。
いつもの笑顔。
なんでここに居るの?だって今頃は……。
「……バカね!わざわざチケット送ってやったのに、行かなかったなんて。まったくお金の無駄……」
どさっ、と何かがあたしの足元に落ちた。
中身は定かでないが、きれいに包んであり、ご丁寧にリボンまでかかっている。
「チケットは払い戻した。それはその金で買ったモンだからよ」
「……」
「さてまん太も待たせてることだし、一緒に帰るとすっか!」
どうして。どうしていつもいつも、彼の方が一枚も二枚もうわてなのだろう。敵いっこないのだ。
それは初めて出会ったあの頃から、変わらない。
「おバカ。もう電車無いわよ」
結局、その夜は僕も葉くんのおばあさんの民宿に泊まることになった。
アンナさんは僕達の事なんて構わずにひとりで風呂に行ってしまうし、葉くんは葉くんで、こっちに来るのも久しぶりだなぁ、なんて浮かれている。明日も学校だっていうのにまったく……。
きれいに包装された紙袋。葉くんは何も言わなかった。でも、僕はどうしても堪えきれなくて、つい風呂上がりのアンナさんに声を掛けてしまったのだ。
「あのさ、アンナさん」
「何よ」
「それ……葉くんがお小遣いかき集めて買ったんだよ」
「え?」
「アンナさんがくれた気持ちは、お金になんか戻せないってさ」
「……あっそう」
普段と変わらず、素っ気ないアンナさんの返事。
けど、そんな彼女の頬が、ほんの少し赤くなったのを、僕は見逃してはいなかった。
やっぱり僕は葉くんが羨ましい。それは多分、憧れにも似た気持ち。何ものにも侵されることのない、強い絆。
でも、もしこの事を葉くんに言ったら、きっと彼は笑いながら言うんだ。「そんなの、お前だって持ってるだろ」って。
(二人とも、素直じゃないんだよなぁ)
葉くんとアンナさん。二人が僕は羨ましい。
だけど、恋人でも友達でも、繋がっている心は同じ。絆は変わらないってこと、信じてていいよね。
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