「ごめんなさいね、遅くなって――……」
「………………」
「……何よ?」
..Milky Way**
「あ、いや……」
「灰原さん、かわい―――v」
あと10年もしてこれと同じようなシチュエイションになれば、同性からのこんなに素直な感想を与る事はかなり難しい話かもしれない。
だが、幸いにも彼女は無邪気な小学一年生。予告無しの哀の浴衣姿にも動じる事無く歓声をあげ、コナンの言葉を遮った。
「ど、どーしたんだよ、その格好?」
「あら、つれない反応ね……折角、今日の為に用意したって言うのに」
「……ウソだろ?」
「ウソよ」
今日は七夕。織姫と彦星が、年に一度天の川を越えて逢う日。
しかし、遊びたい盛りの子供たちにとって、彼らの再会などはどうでも良い事かもしれない。
兎にも角にも、七夕と言えばお祭りなのである。
「博士だな?」
コナンが察して言った。浴衣なんてそう安いものでもないが、もともと子供好きな博士の事だ、彼ならやりかねない。
そして、それは案の定だったらしく、哀は、くすぐったそうな顔をして微笑った。
「まあね」
コナンはそんな哀に暫し魅入ったが、
「じゃ、早く行こーよ♪」
「ええ」
「オレ、わたあめとヤキソバとリンゴ飴とかき氷と(以下略)買うぜ!!」
「も〜〜、元太君はホントに食べ物の事しか考えてないんですから〜〜!」
「あっ……混んでんだから逸れんなよ!」
と慌てて彼らの後を追ったのだった。
人、人、人。
どっちを向いても人ばかり。
私はそりゃあ鈍い方ではないけど……と言うよりむしろ、運動神経は良い方。けれど、人混み慣れはしていない。だから本っ当、うんざりしてしまう。
でも、こうやって皆で、わざわざこんな人込みに出向いて、押し潰されながら屋台に辿り着いて、当たりなんて入ってるのかしらと疑いたくなるようなくじ引きとか、異様に値段の高い缶ジュースとかにお金を使って騒ぐなんていう、ひどく無意味な事を私は進んでやっているのだ。不思議。
それにしても、着慣れない浴衣がいっそう暑い……。
「灰原ぁ〜〜!」
「何?」
「おい灰原っ!?」
「……なーにっ!」
工藤君と私との距離はほんの1メートルも離れていない。それなのにこんなに声を張り上げなきゃならないなんて。
やっぱり、物凄く無意味に体力を消費している気がするのだけど。
「見ろよ!」
そう言って天を仰いだ彼につられて、私も空を見上げる。
瞬間、夜空に花火の大輪が咲いた。
道理で、あんなに声が聞こえにくいのはおかしいと思ったわ。
彼が立ち止まったので、私も足を止めた。
「綺麗……」
工藤君がちょっと驚いたようにこっちを見る。
私、何か変な事言ったかしら?素直な感想を述べたまでなんだけど……ああ、そっか、私、普段から素直じゃないから。だからね。
花火、こんなに大きな音を立ててるのに、どうして気付かなかったのかしら。
そういえば随分、空なんて見上げた事、なかった。そんな事、忘れてた。
立ち止まってる私達の横を、人の波は止まる事なく流れていた。
「――ったく……何でなんだよ。あれだけ言ったのに」
さっきからこればっか言ってる気がする。
花火に気を取られ、気付くと、歩美達がいなくなっていた。
「あんなに逸れんなって言っといただろーが、っんとによ〜〜……」
「あら、逸れたのは私達のほうじゃないかしら……」
「……そーとも言うな」
灰原が淡々と突っ込んだ。
いい加減、苛ついてくる。いくらこのオレが冷静沈着頭脳明晰(←強調)な名探偵でも、この人混みの中でアイツらに巡り会うのは、殆ど不可能に近かった。
「しゃーねーな、川原の方に行くか…」
「え?」
「一通り遊んだら、川原で花火する事になってんだよ。そこに居ればその内会えるだろ」
この人混みの中、それも一苦労だろうけど、ここで宛ても無くアイツらを捜すよりはいいだろう。
川原は来る時に通っている。オレは灰原の腕を掴んで、もと来た道を戻った。
本当は、腕なんか掴まなくたって、コイツがちゃんと着いて来る事くらい判ってたけど。
「痛っ……」
「あ、ゴメン……」
工藤君がハッとして私の腕を放した。勘違いしたらしい。
「あ……違うの。つまづいて……鼻緒が……」
「え?切れたのかよ?」
「でも大丈夫よ、このまま歩けるわ」
「バーロォ、こんな中で歩けっかよ……ホラこっち」
言われるまま、人の流れから外れる。
工藤君はしゃがむと、暫らく下駄の鼻緒を弄っていたけど、やがて顔を上げて言った。
「……背中、乗っかれ」
「……はっ?」
「負ぶってやっから、乗れって言ってんだよ」
「………………」
私は何だか、無性に笑いが込み上げてきた。
博士に薦められてではあったけど似合わない浴衣なんか着て来て、その上鼻緒が切れてしまった、自分の馬鹿さ加減と情けなさ。
それから、鼻緒を直そうとしてくれた彼。そして結局直せなかった彼。
そんな事関係無しで流れる人の波。
あの子達と逸れた私達。
花火。
「ふふ……」
「何笑ってんだよ、気持ちわりーな」
そう言うあなただって、笑ってた。
川原は、まるで別世界のように静かだった。
男女やら親子やらが、数組居るだけだ。
花火も遠くに見え、さっきは気付かなかった星が瞬いているのが判る。
「ふ――……つっかれたぁ――……」
「ちょっ……もう少し優しく下ろしてくれない?」
「何言ってんだよ、こんなに優しさ溢れる女性の扱い方、他にあるか」
それきり、二人の間に会話らしい会話は無かった。原因は哀のいつもの「そうね」とか「ええ」とかいう素っ気無い返事であり、コナンはそんなものとっくの昔に慣れていたからだ。
不意に哀が呟いた。
「星……流れないかしら」
「あ?ああ……そう簡単には流れないんじゃねーか?」
「流れ星って、堕ちる前に燃え尽きて消えるのよね」
「そーだろ」
「私も……消えたい」
え?と、コナンが哀を見る。
「ここから逃げるとか、死ぬとかじゃなくて……消えてしまいたい……」
「………………」
「私に関わる、全ての事物と人の記憶……全部連れて、消えてしまって、その後は、私なんか最初から居なかったみたいに世界が回れば良いんだわ」
「灰原……」
もしも願いが叶うなら。それは決して叶わぬ願い。
「消えてしまえれば楽だもの。もう誰を疵付けることも無い。誰から疵付けられることも……」
「は……」
「ホントは耐えられなかった。耐えられないのよ、もう」
「………………」
「なんてね……あなたに言っても判らないわよね。こんな……自分勝手な気持ち、判ってくれな……っ」
哀の言葉が止まった。
コナンは唇を離して、そして哀の耳元で囁いた。
-------------そんな事、オレだって何度と思ったさ-------------
ずっと、言って欲しかった事だった。
どんな言葉で励まされるより、そう言って欲しかった。
嘘でもいい。自分も同じだ、と。
「……りがと……」
「なんかさー、今日はやけに素直なのな、オメー」
「……さあね。七夕だからじゃない?」
「ワケ判んねーっつの」
「あ、流れ星……」
「え、どこどこ?」
「消えちゃったわよ」
「くそー、ワールドカップのチケット願おうと思ったのにー……オメーは何か願ったのか?」
「ええ、まあね」
「マジ?何を?」
「あら、内緒よ…」
「教えろよっ」
「……ねぇ、花火でもしない?」
「あ?いいけど、アイツらうるせーぞ?先にやってるぅ〜〜、とか」
「じゃあ、線香花火だけ。ね?」
「しゃーねーなぁ……」
「あ〜〜!コナン君、灰原さん、居たぁ〜〜!!」
「捜しましたよ〜〜!」
「も〜〜、心配したよ。何してたのぉ?」
「何って……別に何もしてないわよ……」
「あっ、二人で花火する気だっただろ!?ずりーぞ!」
「あんだよ、まだやってねーだろぉ?」