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親 子 喧 嘩 と 廻 り 道 

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 柾木家は今日も賑やかだ。
 というか、はっきり言うと、うるさい。大体、常に誰かと誰かが言い合いをしている。
 言わずもがな、その主なメンバーは魎呼と阿重霞さんだ。
 だけど、魎呼がドジを踏んだ美星さんに食って掛かることもあれば、魎皇鬼がつまみ食いを砂沙美ちゃんに叱られていることもある。
 そして今日、そこに新しいレパートリーが加わった。できればあまり加わってほしくなかったんだけど。

「ちょっとお、いつまで逃げ回ってるつもりぃ?」
「てやんでェ!いつもいつもそう簡単に捕まると思うな!」

 前々から、魎呼と鷲羽ちゃんのやりとりは普通にあった。
 生体チェックの時なんか、そりゃあもう、誰一人として落ち着いて茶も飲めないようなドタバタ劇が始まる。
 でもそれは、喧嘩というより、鷲羽ちゃんが一方的に魎呼を追っかけ回して遊んでいるだけのように見えた。
 そして大抵の場合、最終的には、魎呼は黙って鷲羽ちゃんのなすがままになっている。
 口でも手でも敵わないことが判っているのに、暴れるだけエネルギーの無駄だと思っていたのだろう。
 それは、一種の諦めのようでもあった。
 りょーこちゃんっ♪という脳天を突き抜けるような鷲羽ちゃんのご機嫌ボイスを合図に、束の間二人の追いかけっこが繰り広げられる。
 やがて、鷲羽ちゃんの笑顔の威圧に圧し負けた魎呼は、げんなりしながらも研究室へ消えていく……というのが、毎度のパターン。
 でも、今日に限ってはそれがいつもと違ったのだ。

「てぇいっ!」
「なっ、ななな何ですの……きゃーっ!?」
「ぐえぇっ!!」

 どっすーんっと重々しい音を立てて、ソファが落ちる。
 本来ならば、絶対落ちてはいけない場所ナンバーワンのポイント……つまり、鷲羽ちゃんの上に。
 何でソファが落ちてくるのかというと、魎呼が超能力で飛ばしたからだ。
 因みに、運悪くそこに座っていたためにとばっちりを食らい、目を回しているのは阿重霞さん。
 その下から息も絶え絶え這い出してきた鷲羽ちゃんを一瞥すると、魎呼はざまあみろとばかりに鼻を鳴らした。

「……アッタマきた!きょーというきょーは、もう勘弁ならん!!」
「あたしの台詞だそれはっっ!!いー加減にしろよこの変態科学者!!」
「へっ変態!?変人とは言われてきたけど、変態はやめてよ変態はっ」
「変人で変態で変質的だろーが!どこを取っても変、変、へ〜んなんだよお前は!」
「魎呼ちゃん!ママに向かって何ですか!」
「うっせー!娘の体を弄繰り回す母親なんて、聞いたことないわい!」

 二人とも、いつになくムキになっている。
 普段ならここまで粘らないはずの魎呼が、今日は何だか様子がおかしかった。
 鷲羽ちゃんもそれには気付いているのだろう、何とか冷静に言葉を選ぼうとしているのだけれど……。

「何言ってんの、あんたのためなのよ?ちゃんと定期的に生体パターンをチェックしておかないと、あんたの身体はもしもの時に……」
「へっ。メンテナンスの必要な娘ってぇのも、聞いたことねぇよなー」

 魎呼に折れる気がない。
 それどころか、わざと事態をややこしくしようとしているかのようだ。

「まるで機械か人形だぜ」
「!」

 その時、オレははっきりと感じた。空気が凍りつく瞬間を。

「大体、娘、娘って……腹痛めて産んだわけでも、四苦八苦して育てたわけでもあるまいに」

 嗚呼。
 それを言っちゃあオシマイよ。
 その場にいた誰もが、そう思っていただろう。たぶん、あの美星さんでさえも。
 鷲羽ちゃんは、硬直したまま黙っている。沈黙が重い。だけど、誰も彼女らを直視はできない。だって、怖いんだもん。
 なんて言ってはいられないのが、悲しいかなこの家の主であるオレなんだけどね。

「わ、鷲羽ちゃん。とにかく落ち着いてくれたら嬉しいなーなんて……」
「……判った」
「え?あ、判ってくれたなら良かっ……」
「これから、あんたとあたしは血を分けた赤の他人よ!」
「え゙?」

 一体何なんだそれは!?

「おーおー結構なことだね!」

 って魎呼、お前も肯定するな!!

「言っとくけど、あたし他人には容赦ないわよ。他人に厳しく身内に甘い、鷲羽ちゃんてばどっかの警察組織のよーな精神の持ち主なの」
「ちょ、ちょっと鷲羽さん?どさくさに紛れてギャラクシーポリスを批判してません?」
「望むところだ。あたしゃそーゆうサツのお役所体質が、何よりキライなんだよ」
「あ〜〜ん、魎呼さんまでェ〜〜!!」

 やや論点のズレた抗議をする美星さんを無視し、魎呼と鷲羽ちゃんは無言で火花を散らしあう。
 やがて、魎呼はゆっくりと息を吸い込み、低めのトーンで呟いた。

「おめーとは、一度ハッキリさせとかにゃならんと思ってたんだ……」

 さっき凍りついた空気が、先端をつららのように尖らせてぶつかり合っているようだ。
 痛い。このピリピリと張り詰めた感じが、とてつもなく痛い。
 もう誰も止められないであろうことを予測したオレには、もはや祈るほかに術はなかった。
 あぁ神様、この母娘の所業によって地球が滅びたりしませんように!

「ぎったんぎったんのめったんめったんにしてやるぜ」
「吠え面かくわよ魎呼ちゃん」

 不気味な笑みを浮かべながら、両者一歩も引かぬ睨み合い。
 特に魎呼のあの顔は、ろくでもないことを企んでいる時のそれだ。
 きっとまた何か、卑怯な手を思いついたのに違いない。

「あっら〜?そんな余裕ぶってていいのかな〜?いっくらお前でも、生身と宇宙船じゃ勝ち目なんてないんだぜ?」

 図星。こいつ、魎皇鬼で喧嘩する気だ。
 でも、こうやって作戦を口に出してしまうのが魎呼らしいというか何というか。

「行くぞ!魎……」
「魎皇鬼、いらっしゃい」
「み、みゃっ!?」

 突然振られて驚いたのは魎皇鬼。
 まるでいきなり両親から、お父さんとお母さんどっちについてくる?と訊かれた子供のように、うろたえている。
 二人の顔を交互に見ながら、様子を窺っているようだった。

「何だよテメー、図々しいな!」
「何よ?魎ちゃんはあたしの娘よ!赤の他人のあんたとは、関係なーいのぉ〜」
「ぬわにぃ〜〜〜〜〜〜!?」

 言ったもん勝ちの無茶苦茶な論理展開である。だけど、魎呼には効いているみたいだ。

「魎皇鬼!あたしと来るよな!?」
「ママと一緒の方がいいよねぇ〜」
「あたしはお前の姉貴で主人だぞ!逆らうってのか!?」

 方や、権力を振りかざし、暴力で屈服させようとする姉。
 方や、優しい笑顔で、自分の選択を待ってくれている母。
 幼い魎皇鬼が決断を下すのに、そんなに時間は掛からなかった。

「みゃあ!」
「よしよし、いい子ね」

 唖然とする魎呼を尻目に、鷲羽ちゃんは嬉しそうに魎皇鬼を抱き上げる。
 5000年以上も共に旅をしてきたパートナーに、まさかの三行半を突きつけられた魎呼。不憫だ。

「う、う、裏切り者ぉ〜〜〜〜〜〜!!!」

 かくして、戦いの火蓋は切って落とされたのであった。










 第一回戦、魎皇鬼争奪戦を制した鷲羽ちゃん。
 だけど、その報復はすぐにやってきたようだ。それを示す悲鳴が、家中にこだました。

「いっ……い……いや――――――っっ!!」

 亜空間をも超えて響き渡るんだから、さすが鷲羽ちゃんと言わざるをえない。なんて呑気なこと言ってる場合じゃないか。

「ど、どうかしたの鷲羽ちゃん!?」
「何よこれぇ〜〜!?滅茶苦茶じゃないの〜〜!!」
「え?うわぁっ……こりゃひどいな」

 わなわなと立ち尽くしている鷲羽ちゃんの肩越しに見えたのは、かつて鷲羽ちゃんの研究室を構成していたもの達の残骸だった。
 巨大なガラスケースは片っ端から割られているし、そこから流れ出た培養液で床は水浸し。
 ぼこぼこに破壊された機材が漏電して、今にも爆発しそうにバチバチいっている。
 もうどっから見ても立派な廃墟。荒れ放題だ。泥棒が入ったってこうはならないだろう。

「やりかけの実験が……バックアップ取ってないデータがあ……」

 自分達で撒いた種だとはいえ、ちょっと気の毒になった。
 鷲羽ちゃんの研究の内容なんて想像もつかないけど、きっと大切なものだったに違いない。
 早朝から畑に行く時なんか、たまに徹夜明けの鷲羽ちゃんと顔を合わせることがある。
 そしてそれは、口に出したら殺されそうだけど、まぁようするに、わりとひどい顔だったりもする。
 でも、そこまで魂込めて没頭しちゃうなんて、よっぽど好きなんだろうなぁと思っていた。
 それが、こんな風にぐっちゃぐちゃにされてしまったのだ。さて、どうなるか。
 結果は火を見るより明らかなわけで。

「ふ……ふふっ……ふふふふふふふふふ」
「わ、鷲羽……ちゃん?」
「やってくれたわね〜〜、魎呼ぉ〜〜〜〜〜〜」
「みゃあ〜〜ん」
「こっ……怖いです……」

 足元でのたうっていた見たこともない生き物をふん捕まえると、鷲羽ちゃんは地獄の底から沸き上がる溶岩みたいに笑った。
 その顔はさながら、罪人にどんな裁きを下そうかとほくそ笑んでいる閻魔大王のようだ。

「あたしの研究……あたしの聖域を穢した罪……スパルタ式に償ってもらうわよ」

 怒りに任せて地団駄を一つ踏み込む。
 ばしゃっと跳ねた培養液の雫を見ながら、オレは不安でいっぱいだった。
 そして、その不安は的中した。いや、十中八九そうなるとは思っていたけれど。

「あ〜〜〜〜〜〜っ!!」

 リビングの(さっき一気にボロボロになった)ソファに座っていたら、今度は魎呼の絶叫だ。
 巻き込まれたくないから大人しくしていたのに、これだもんな。
 まったく、うちは悲鳴のオーケストラじゃないんだぞ。
 少し前の騒動で痛い目に遭った阿重霞さんが、苛立たしげに声を荒げる。

「うるさいですわよ魎呼さん!大声を出さないで下さいまし!」

 でも魎呼は上の空。ただ宙を凝視しながら、うわ言のように呟いた。

「あったっしっのっ……寝床が……!!」
「は?……えぇっ!?」
「梁が……」

 ない。なくなっている。
 実質、魎呼専用の場所みたいになっている梁のあった部分。すっぽりとそこだけ何もない。
 考えるまでもなく鷲羽ちゃんの仕業だろうが、それにしてもずっとここにいたのに全然気付かなかった。
 あんぐりと開いていた魎呼の口が、への字にきゅっと結ばれる。怒っているのだ。
 判らなくもない。あの梁は、魎呼のお気に入りの場所だったんだから。
 プライバシーもへったくれもないような、オープンな場所だったけど、魎呼はあの梁を自分の部屋のようにしていた。
 それを突然奪われてしまったら、そのショックは相当なものだろう。
 オレだって、もしいきなり自分の部屋がなくなったら、かなり凹むだろうしなぁ〜……って、割とよく家ごと破壊されてるけどね。
 きっと今回も……いや、今はまだ考えないでおこう。既に被害を受けているソファと梁は、とりあえず見なかったことにしよう。
 そんなオレの心配なんて知る由もなく、魎呼は殆ど蹴破るようにドアを開け、研究室に怒鳴り込んだ。

「くぉら!わしゅう〜〜!!」
「おや魎呼ちゃん」
「あたしの寝床をどこへやった!?」
「さぁ〜〜?何のことだかさーっぱり!」

 既に8割がた修復されたその場所で、鷲羽ちゃんがにっこりと笑う。
 目には目を。普段と寸分違わないその笑顔が、怖い。

「とぼけんじゃねーよ!」
「魎呼ちゃんったら、言いがかりつけるのは勝手だけどぉ。あんまり癪なことすると、一生寝るのもままならない生活かもよ?」
「………………っっ」

 その言い方からして、鷲羽ちゃんの犯行は明白だ。
 なのに、あくまでもシラを切りながら、それを逆手にとって脅しにかかるなんて。
 自分より力のある相手に開き直られたら、魎呼とて黙るしかない。

「……畜生!覚えてろよ!」

 使い古された捨てゼリフを吐いて、魎呼はどこかにテレポートした。










 まったく魎呼のオイタにも困ったものだ。
 そりゃあ鷲羽ちゃんの天才的頭脳に敵うわけはないんだけれど、でもあの子だってそれなりの能力を持っている。
 何たって、この私が寿命を削るような思いで、苦労に苦労を重ねて生み出した娘だもの。一筋縄でいかなくて当然よ。
 だけど、今回のようなケースに限っては、それがアダになるってこともあるのね。
 お蔭で気が抜けなくて、ゆっくり用も足せやしない。今さっき足したけど。

「ん?」

 こういう無防備にならなきゃいけないような場所には、あんまり長居したくないところだ。
 そう思いながら、そそくさとドアノブに手を掛けて、気が付いた。
 何か、様子がおかしい。何がと言われても困るんだけど、強いて言えば天才の勘ってやつだろうか。
 実際問題、科学者なんかやってると、嫌でも敏感になる。ちょっとした違和なんかには、特に。
 でも逆を言えば、違和だろうが何だろうが、起こっちゃったものはしょうがない。
 大切なのは、そこからどう修正するのか。または、どう発想を変えてみるか。
 そういうところから新たな発見に繋がることだって少なくはないのだ。
 つまり何が言いたいのかというと。
 とりあえずこのドアは開けちまえ!ってこと。

「………………」

 どうせ開けなきゃ、トイレからは出られないんだしね!でもやっぱり閉めちゃおっと!
 開けたり閉めたり開けたり閉めたり、うーん鷲羽ちゃんってば無駄にエネルギー消費してるぅ!
 とかやってる場合ではない。あまりのことに、一人でよく判らないボケをやってしまったじゃないの。
 とりあえず、深呼吸を一つ。もう一度気を落ち着けて、ドアを開ける。
 ……うん、やっぱりさっきと同じ光景だった。
 本来ならば、ドアを開ければ見えるのは柾木家の廊下のはず。
 でも、今私の目の前に広がっているのは、一面真っ白な雪の大地。
 空の白と大地の白が境目なく溶け合う景色は、なかなか壮大で見応えがある。
 ところどころにせり上がる氷も迫力満点。その側らをペンギンが横切ったりして、つい和んでしまう。
 だけど、だけどね。
 -50℃の冷気がそんな私の心を非情にも凍りつかせてしまうのよ!ぶえっくしょいっ!

「空間固定……あ、あのコったら無茶を……!」

 鼻水をすすり上げて、パソコンを呼び出す。さっそく地点を計測すると、0コンマのスピードで応答があった。
 サーチの結果によるとここは……。

「な・ん・きょ・く」

 南極……地球上の南極点、もしくは南極点を中心とする南極大陸およびその周辺の島嶼・海域(南極海)などを含む地方のこと。
 南極地方は、南極大陸を中心に南極海を含み、太平洋、インド洋、大西洋の一部も属する。
 以上、ウ●キペディアより……って違う!
 まったくちょっと知識があるからって、何てことしてくれんのよ!
 固定を解除するのなんて、私の手に掛かれば朝飯前だけど、それでも少しは面倒だ。
 しかもこの寒さの中、いくつかのポイントで地形データを取ってこなくちゃならない。
 言い直そう。非情に面倒だ。寒いし。

「せめて北極だったら、もう少しマシだったかも」

 だけど、そんなこと言ってても始まらない。
 空間固定を解除しなければ、このままずっと寒空の下でペンギン達と戯れるか、そうでなきゃトイレに引きこもるかだ。
 いっそ立てこもってやろうかとも思ったけど、馬鹿馬鹿しいので却下した。
 仕方がない。意を決して冷たい雪と氷の上に足を踏み出したその時、

「……え?」

 突然ボゴッというような嫌な音が足元からしたかと思うと、地響きが起こり出したのだ。
 私の聡明な頭は瞬時に判断していた。氷山が崩れる、と。
 だけど次の瞬間には、私の身体は重力に従って、右も左も真っ白な空間に落ちていったのだった……。










「ぶわーっはっはっはっ!」

 ところ変わって柾木家台所。
 魎呼の大笑いをバックミュージックに、砂沙美ちゃんとオレはただ呆然と、鷲羽ちゃんを見ていた。
 
「鷲羽ぅ、何だぁそのザマは!南極探検にでも行ってきたのかよ!?」

 思いっきり小馬鹿にしていると判るその言葉を、咎めることもできない。
 時間が空いたので、砂沙美ちゃんの夕飯の支度を手伝っていたら、魎呼がちょっかいを出しにきた。
 それを適当にあしらっているところに、鷲羽ちゃんが現れたのだが、それがまたびっくりするようないでたちだったのだ。
 まるで頭から雪山に突っ込んだかと思うぐらい、全身雪まみれ。
 指先はかじかんで震えているし、ほっぺなんか髪とおんなじくらい真っ赤になっている。
 外は雪なんてチラついてもいないのに、魎呼でなくても南極などと口走ってしまいそうなほど、その姿は不自然だった。
 しかし、何故そんなことになっているのか。状況は読めない。

「えぇ、トイレに行ったついでにちょっくら行ってきちゃったわー。思い立ったが吉日って言うしー」
「ほぉー。そりゃけっこーけっこーこけこっこー」
「はいこれお土産」
「ぐはっ!?」

 瞬きする暇もなく、どでかい氷山の塊が雪と共に魎呼を押し潰した。
 こんなもの、一体どっから持ってきたんだ。

「その湧いてる脳みそを、これでちょっとはクールダウンさせな!」

 鼻息荒くそう言うと、鷲羽ちゃんはぷりぷりしながら研究室へと引っ込んでいった。
 魎呼は物言わぬ貝のように、氷の下に埋まっている。おーい、生きてるかー?
 でもそんなことより……。

「だ、台所が……」
「雪まみれ……」
「ぢ……ぢぐじょ〜〜……ッぐしっ!」

 あ、生きてた。いやだからそんなことよりも。
 ソファはボロボロ、梁はなくなる、台所は雪でぐしょぐしょ。
 少しずつ、だけど確実に、柾木家は蝕まれていっている。
 それだけは、確信できた。
 そしてやっぱり、その侵食を止めることはできないのだ。
 次に被害に遭ったのは、テレビである。
 リモコンを取ろうとした鷲羽ちゃんの手元に、魎呼がエネルギー弾を飛ばして邪魔をした。
 ムッとする鷲羽ちゃんを無視して、リモコンを横取った魎呼が、それを画面に向ける。
 その瞬間、今度は鷲羽ちゃんの放ったレーザー砲のようなものが、テレビ画面をぶち抜いた。
 チャンネル争い、なんて言えば可愛く聞こえる。
 でも現実は、この家に一台しかないテレビが見るも無残な姿になって煙を上げているのだ。
 言っても親子喧嘩だから、やってることはセコイ。セコイくせに、いちいち被害が大きいのは、何故なんだ。
 宇宙一の天才科学者と、その技術を少なからず受け継いでいる元・宇宙海賊のじゃじゃ馬娘。
 もっともであるはずのオレの嘆きも、その事実を前にすると、しょーがないよねで済まされてしまうのだろう。

「鷲羽さん、これ飲んでもいいですかぁ?」

 明るく朗らかなその声が、今のオレにはちょっと堪える。
 溜め息を飲み込みながら振り返ると、テレビを修理中の鷲羽ちゃんと、暇そうな美星さんが見えた。
 魎呼の姿は見えない。嫌な予感。

「あたし、ピーチジュース大好きなんですぅ」
「ん?あぁいいよ……って、ちょい待ち!ピーチジュース!?」
「ほえ?」

 慌てて美星さんの手からコップをふんだくると、

「こっこれは……ニトロベンジン!」

 鷲羽ちゃんは不吉な単語を口にして、すぐに問題児の名を叫んだ。

「りょーこぉー!!」
「あんだよ?」
「お前はスカポンタンかっっ!」

 テレポートしてきた姿を捕らえるなり、ドタマをはたく。

「あたしだけならまだしも、他の人間を巻き込むんじゃないよ!こんなの飲んだり吸ったりしたら、大変なことンなるよ!?」
「知らねーよー。言いがかりつけんなよなー」
「あぁん!魎呼さんひどぉい!」

 わざとらしくシラを切りながら、美星さんが食べようと手にしていたせんべいをひょいと取り上げる魎呼。
 まったく、どさくさに紛れて意地汚いったらない。
 美星さんの恨めしそうな目も堪えていないようで、そのまま躊躇いなく口へと運んだのだが。

「!!?」

 突然の爆音と共に、一瞬その場が閃光に包まれた。
 多分、魎呼がせんべいをかじったのと同時に。

「……あ、そーいや、せんべいに火薬仕込んどいたんだっけ」

 けほけほ咳き込みながらも、あっけらかんと鷲羽ちゃんが言った。
 何でそんな大切なことを忘れてしまうんだろう。
 しかも、自分も巻き込まれてるじゃないか。それでいいのか。
 真っ黒焦げになって黒煙を噴いている魎呼と、すすだらけのその他3名。
 爆発の衝撃と爆風でリビングはもう壊滅状態。
 ソファだの梁だのテレビだの、もはやそんな次元は超えていた。

「ああ……家が………………」

 天井に空いた大穴を見つめながら、オレは無意識のうちに呟いた。










 一家の主の心配も虚しく、リビングは見事なまでに崩壊した。
 しかし、台所は雪まみれにはなったが何とか無事だ。というわけで。

「いただきます!」

 砂沙美の健闘もあり、夕食には何とかありつけることとなった。
 いつものように、リビングから一段上にある食卓を皆で囲む。日常風景だ。
 ただちょっと、周りの景色がエキサイティングなだけで。
 天地は極力前を見ないように、今晩のおいしそうなメニューに視線を落として言った。

「言っておくけど、食事中は喧嘩禁止だからな!鷲羽ちゃんも、いいね!」
「はいはい」
「判ってるってば〜、天地殿」

 ぶっきらぼうな魎呼の返事と、羽のように軽い鷲羽の返事。
 余計に不安が募る天地の心の内など気にも留めず、鷲羽が自分のサンマに箸をつけようとした時だ。

「シャアアアアアッ!!!」
「どわ――――――!?」

 サンマが襲い掛かった。いや、既にその姿はサンマではない。
 この世のものとは思えぬ異形の魍魎が、大口を開けて鷲羽を飲み込まんとしたのだ。
 突然の事態に一瞬ひるんだ鷲羽だったが、すぐに完全夕飯モードだった頭を戦闘モードに切り替えた。
 そしてパソコンを起動すると、目にも止まらぬ速さでいくつものコマンドを叩き込み、エンターキーを押す。
 さっきまでサンマだった化け物は、後一歩で鷲羽を頭からぱっくりいけそうだったところで、あえなく消滅した。
 この間実にわずか数秒。泡を吹いている美星以外の誰もが、何が起こったのだろうという顔で呆けている。
 鷲羽も、ほとんど反射的に動いていたのだろう。安堵の息をついて、呟いた。

「び、びっくりした……」
「さ……砂沙美のお料理が変な生物に……」
「チッ、しくじったか!」

 全員の視線が魎呼に注がれる。

「魎呼ぉ!!」
「あんたね〜〜!!」
「まったく何を考えてらっしゃるんですの!?」
「何だよ、別にいーだろ。何ともなかったんだからさ」

 楽しいおいしい夕食の時間を滅茶苦茶にされたのだから、さすがにこれは非難轟々。
 しかし、魎呼はそんなの屁とも思っていないようだ。ちっとも反省していない。

「何ともあるだろ!」
「そうよ!あたしのおかずが一つ減ったわ!」
「へーへー、悪ぅござんした……むぐっ!?」

 涼しい顔で自分の味噌汁を飲んだ魎呼に、異変が起きた。

「うっ……」
「りょ、魎呼?」
「う……ぐ……ぐるじ……」
「はれ?あらまぁ魎呼さん、どうかなさったんですか?お顔の色が信号機みたいに変わっちゃってぇ」
「うがッ……うぐぐぐぐぐ〜〜〜〜〜〜っ……ぐはっ」

 目を覚ました美星が無邪気に指差したのと、魎呼がその場に崩れ落ちるのと、ほぼ同時。
 取り落とした器から、味噌汁がこぼれる。条件反射のようにそれを避ける阿重霞。
 そりゃそうだろう。毒を体内分解できるはずの魎呼を、こんなに苦しませている液体だ。皮膚から吸収しでもしたら、どうなることか。
 美星が信号機と例えた魎呼の顔色のラストを飾ったのは、青だった。
 それを得意げに見届けるは、もちろん、鷲羽その人だ。

「……ふっ。魎呼、してやったり」
「鷲羽ちゃんっっ!!」
「鷲羽様!?」
「うわーんっ!砂沙美のお料理が〜〜〜〜〜〜っっ!」

 愛情込めた自分の料理を台無しにされた砂沙美が、泣き叫ぶ。
 その涙で蘇った……わけではない魎呼が、早々と意識を取り戻して鷲羽に食って掛かった。

「てめぇ!何ってことしやがる!!死ぬかと思ったぞ!!」
「そっちが先でしょ」
「何がだよ!おめぇだって最初から仕込んでたんだろうが!」
「きゃっ」

 魎呼がカッとなって食卓を拳で叩きつけた。
 その振動で皿がぶつかりあい、湯飲みが倒れる。
 とっさに口元を押さえ、身体を強張らせた砂沙美を見て、鷲羽は深々と溜め息を吐いた。

「ホントお行儀悪いわね、魎呼ちゃん。そんな子に育てた覚えはないわよ」
「黙れ!その冗談は聞き飽きたし、元より笑えねーんだよ!」

 暗雲が垂れ込めるように、険悪なムードが拡がっていく。

「そーね。育てたのは神我人だもんね。ろくなもんじゃないわよね」

 そう言う鷲羽の口調は、どこか淡々としていて、それが余計に魎呼を苛立たせた。
 確かに、神我人にまともな育て方をされなかったのは事実だ。
 だけどそもそも、その神我人を造ったのだって鷲羽だ。
 しかも封印されたか何だか知らないけど、造るだけ造って、自分はあたしを放置したんだ。
 魎呼は、湧き出るままに激情を募らせた。どれもこれも全部、変えられない事実じゃねぇか。

「ふん……じゃあ言わせてもらうけど、おめーだったらあたしをどんな風に育ててくれたって言うんだ?え?」
「………………」
「どーせおんなじだよ!誰に育てられようが!あたしを道具みてーにするのは……おんなじだ!」

 ほんの一瞬、鷲羽の身体がぴくりと動く。

「おい魎呼!言いすぎだぞ!」
「はっ!だってそーじゃねぇか!?天地、お前にも判るだろ?おめーが母ちゃんを好きなのは、母ちゃんとの思い出があるからだろ!?」
「えっ?」
「一緒に遊んだり、悪さして怒られたり、世話してもらったりさぁ……!」
「そ、それは……」
「あたしにはそんなもん、何にもないんだぜ!?なのに、突然のこのこ現れた奴に母親面されたって、迷惑なだけだ!!」

 また沈黙が訪れた。
 皆、息を呑んで事態を見守っている。
 肩で息をしながら、鷲羽の方を見ない魎呼。俯いたまま、顔を上げない鷲羽。
 そんな二人に、何だか天地はやり切れない想いを感じた。
 親子なら当たり前の絆が、この二人にはないのだ。
 いや、本当はある。それは多分、気付いている。
 だけど、どうやってそれを受け入れたらいいのか、どうすればそれを掴むことができるのか、それが判らない。
 判らなくて、どうにかしたくて、必死にもがいてる。そんな気がしたのだ。
 これ以上黙っていられなくなった天地が、声を掛けようとした時だった。

「このっ……馬鹿!!」

 唐突に破られた沈黙。
 あまりにも子供じみたその悪言に、誰もが呆気に取られている中、まず我に返ったのは魎呼だ。

「んなっ……も、もういっぺん言ってみやがれ!」
「馬鹿!バカバカバカバカバカ魎呼!!」

 睨み付けられて、ぎょっとする。
 小学生並の罵倒の言葉を連呼しながら、鷲羽のつり上がった瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
 潤んだ翠が、水面のように魎呼の姿を映す。それはまるで、本物の海のようだ。そしてそれは、とても綺麗、だ。
 けれど、よりによってこんな時にそんなことを考えてしまった自分が恥ずかしくて、魎呼は想いをかき消すように怒鳴った。

「ばっ、馬鹿はそっちだろ!何……何泣いてんだよっ!?」
「うるさいうるさい!」
「いでっ!?茶碗を投げるなこのっ!」

 こうなっては、どっちが子供なんだか判らない。
 鷲羽がこんな低レベルな戦術に出るなんて、完全に頭に血が上っている。
 そこに来て、相手は手を出されたら黙ってはいられない魎呼である。
 少なくとも状況が好転することはないであろうことは、目に見えていた。
 箸も、湯飲みも、挙句の果てには料理の乗った皿までもが、びゅんびゅんと頭上を飛び交っている。
 当然食卓はドロドロ。鷲羽も魎呼もドロドロ。ついでに天地達もドロドロだ。

「あの……二人とも……」
「お取り込み中悪いんですけどぉ〜〜……」
「さ、砂沙美?大丈夫……?」

 妹を案じた阿重霞が、声を掛ける。
 しかし、二人とも天地達が止めに入ってることも、砂沙美の様子がおかしいことにも、まったく気付いていなかった。
 投げるものも尽き始めているというのに、戦いはヒートアップし続けている。
 テーブルの縁に鷲羽と魎呼が同時に手を掛けた時、それは訪れた。
 不毛な戦いに終焉を告げる、女神の声だ。

「魎呼お姉ちゃん……鷲羽お姉ちゃん……」
「あ……」

 正気を取り戻した母娘が、言葉を失って立ち尽くす。
 その場の凄まじい光景を目の当たりにして、自分達がしでかしたことの重大さに気が付いたのだ。
 けれど、もう遅い。天啓は示された。

「二人とも、いい加減にしてよね……!!」

 圧倒的な剣幕に、思わずその場に正座する。

「魎呼お姉ちゃん!」
「うぇっ!?」
「もう大人なのにどーしてそんな捻くれたことばっかり言うの!?お母様に甘えたいなら、そうはっきり言えばいいじゃない!」
「なっ、なっ……甘っ……」
「鷲羽お姉ちゃんも!」
「えっ」
「大人気ないよ!魎呼お姉ちゃんはただ寂しいだけなんだよ!なのに、鷲羽お姉ちゃんまでムキになってどうするの!?」
「……返す言葉もない……」

 小さな子供に叱られて、しゅんとする大人が二人。
 しかも言ってることが的を射すぎているから、始末に負えない。
 きっと、子供だからこそ言えるのだろう。余計なものをそぎ落とし、まっすぐに本質を見抜く、子供の眼だからこそ見えるもの。
 何かと理由をつけて武装してしまう大人だけれど、本当の気持ちなんて、そんなに難しいものではないのだ。
 そんなこんなで思わぬ者の活躍があり、天地ファミリーを巻き込んでの親子喧嘩には幕が降ろされた。










「……変なの」

 呟いたのは、食後だというのに珍しく天地の部屋でくつろいでいる砂沙美である。
 無事だった食器、及び夕食になったカップラーメンの後片付けは、自ら志願した鷲羽と魎呼がやっているからだ。
 その後、リビングの修復や汚した部屋の掃除などの仕事も待っている。
 二人でやってもそうそうすぐには終わらないだろうが、和解するにはちょうどいい時間かもしれない。

「何が?砂沙美ちゃん」
「だって結局、魎呼お姉ちゃんは鷲羽お姉ちゃんにママになってほしくて、鷲羽お姉ちゃんは魎呼お姉ちゃんに子供でいてほしくて」

 まぁ、そこまで噛み砕いていいかどうかは判らないが、そういうことだろう。
 砂沙美は砂沙美なりに、二人のことを心から心配しているのだ。

「それって、ちょうどぴったりだよね。なのにわざわざ喧嘩するなんて、変だよ」

 悲しそうにする砂沙美の頭を、天地は優しく撫でてやった。

「そうかもしれないね」
「そうだよ」
「うん。でも、大人になると、色々遠回りしなきゃいけなくなるみたいだよ」
「どうして?」
「うーん、それはまだオレにもよく判らないけど……」

 話しながら、天地も考える。
 あの時、鷲羽ちゃんが涙を見せたのは、もしかしたら遠回りに疲れてしまったからだったのかもしれない。
 言いたいことはたくさんあるのに、言えなくて、もどかしくて。堪えきれなくなって、涙がこぼれた。
 魎呼が怒りをぶつけるように捲くし立てたのだって、どうしていいか判らなくなったからだろう。
 たくさんたくさん考えて、でも答えが出なくて、つい投げつけてしまったんだ。
 だけど。

「そうやって判り合うのも、それはそれで楽しいんじゃないかな」

 大人が大人のふりを止めた時、一人の人間として判り合える。
 それはきっと、子供にはまだ判らない感覚に違いない。
 そしてやっぱり砂沙美には判らなかったけれど、天地の笑顔を見たら、つられて笑顔になった。
 砂沙美の笑顔にほっとしながら天地は、あの二人はもっと喧嘩をすればいいんだと、こっそり思っていた。
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 ★おまけ★