SAKURAZAKA――I've waited so long for this moment.
4月。T大学――――
静かさを取り戻したわたり廊下で、二十歳になった灰原哀は窓の外をぼんやりと眺めていた。
外はすっかり春の陽気で、日差しもやわらかく、桜のつぼみもほのかにその色をつけていた。
新入生のにぎやかな声が、春の風に乗ってどことなく聞こえてくる、心地よい昼下がり。
あれから一年か――
白衣を身にまとい、ポケットに手を突っ込んだままの彼女は、その廊下を走ってくる足音の方に、ふと目を向けた。
「灰原さ〜〜んっ」
一人の女子大生が、大声を出しながらやってきた。
「今夜のコンパのコトだけど〜、まだ返事、聞いてなかったからさ〜。」
息を切らしながら用件を告げる彼女に、哀はかるく応えた。
「ああ・・・それなら悪いけど・・・。」
♪♪♪〜〜〜♪♪
そのとき突然、携帯電話の着信メロディがなった。
えっ?―――
トクン、トクン、トクン、トクン、
哀は体の底からこみ上げる、胸が踊らされるような鼓動を感じた。
「ごめ〜ん、灰原さん。ちょっと待って。」
その女子大生はいかにも自分のコールとばかりに、慌てた様子もなく電話に出た。
「ふっ・・・そんなはずないわね・・・。」
ポケットの中の手に握っていたもの――それは、何の反応もない、静かな彼女の携帯電話だった。
―――桜坂――――
最近、彼女はこの歌ばかり聴いていた。
電子音の「桜坂」に反応したのは、その曲で設定してある新一からの電話だと、思わず勘違いしたからだった。
そう――――まだ彼女の心の中にその存在を占めていて、決して忘れることのできない人。
あれは去年――まだ寒さの残る3月―――― 「なぁ、これからどうするつもりなんだ?」 阿笠邸で荷物の整理をしていた哀に、どこかしら重い雰囲気の中、新一が静かに口を開いた。 傍らで新聞を読んでいた手を休めてその返事を求めるべく、彼はソファーに座りなおした。 「そうね。もう私もあなたも元の体に戻ったことだし、組織もみんな捕まって、あえなく解散。 とりあえずは以前の状況に解決したんだから、もう私がココにいなければならない意味はないわね。」 「だけどよ〜。このままココで暮らしていくもの、別にいいんじゃねぇのかよ? 博士だってそう言ってることだしよぉ。」 「もちろん博士には、言葉では表せないほど感謝してるわよ。長くはなかったけどココで送った生活も まあそれなりに楽しめたんだものね。でも生憎だけど、私にはまだやりたいことが残ってるのよ。」 哀は淡々と答えた。 「同じところにとどまっていても、結局、前には進めないわ。 私は確かに『過去』を忘れることはできないし、罪業の意味も含めて忘れてはならないと思ってる。 でもね。「宮野志保」という過去の私を、誰も知ることの無い世界で・・・「灰原哀」という別の人間として、 もう一度、本当に自分のやりたかったコトをやってみたいのよ。それに・・・」 哀は言葉を詰まらせた。 ――それに・・・元の体に戻ったあなたと彼女の恋愛物語を 私がそばで平然と見ていられるとでも思ってるんでしょうけど・・・ そんなことできるハズないじゃない?工藤クン・・・ ホントは私・・・あなたが思ってるほど強くなんかないのよ――― 口には出せない、出してはいけない・・・。そんな言葉を呑みこんで、哀は少し微笑んでみせた。 「そうか。もう決めちまったんだな?・・・ならさぁ、せめて居場所が決まったら教えてくれねーか、な?」 「あら?どうして?」 今度は新一が言葉に詰まった。 しばらくの沈黙の後、新一は読んでいた新聞の隅になにやら書き出して、その部分をビリビリと破った。 「これ・・・オレのケータイの電番。いつでもいいからさ、なんかあったら連絡してくれよ。」 「え?ひょっとしてあれのこと?あの博士の作ったイヤリング型の携帯電話(笑)」 哀はからかった。 「バーロー。んなワケねぇだろっ。ちゃんとしたふつーのヤツだよっ。」 「そう・・・。まあ、お金に困った時にでも、試しに掛けてみるわ(笑)」 「ははは・・・そんでもいーけどよ。ただし金なら持ってねぇぞ(汗)」 「フフ・・・ウソよ。ありがとう・・・」 |
「じゃあ、今回も欠席にしておくわよ?灰原さん?」
女子大生の声で哀はビクッとして、慌てて持っていた携帯をポケットに滑らせた。
「でもこの次はちゃんと出てよ〜。灰原さんを連れてくるように!っていつも先輩達から責められるんだから〜。」
じゃあね――と言うと、彼女は足早に元の廊下を戻っていった。
―――そう言えば!!あのとき工藤君に私の番号・・・教えてないじゃない!あっちから掛かってくるハズが・・・・
哀は今さらながら、そんな当たり前のことに気付き、思わず苦笑した。
そして、しばらく考えていた様子だったが、またポケットから携帯電話を取り出した。
眺めること数分―――――――
ピ・ポ・パ・ポ・・・・
彼女のしなやかな指は、それが自然に覚えてしまったであろう11桁の番号を、
いつのまにか静かに、その順番をたどっていた。
何度も掛けようとして、何度も途中で切ったダイヤル。
決して今まで――――最後まで繋ぐことのなかった、その回線。
声が聴けなくてもいい―――
せめて、せめて私だってこと・・・わかってほしい―――
プルルルルル・プルルルルル
哀はハッとして我に返り、急いで電話を切った。
バカね―――わたし。こんなことしてもムダなのに・・・・。
その瞬間
♪♪♪〜♪♪♪〜♪♪〜♪♪♪〜
サ・ク・ラ・ザ・カ?
え?私の?―――――――
トクン、トクン、トクン、トクン、
さっきの鼓動が、再びこみ上げてきた。
辺りには誰もいない。そのメロディの出どころは、まさしく哀の手の中だった。
ディスプレーには「工藤新一」の文字!!
ウソ―――ホントに?
哀はドキドキが止まらなかった。
そんな・・・ホントに彼だったらどうしよう―――
最初はなんて言おう―――
あ・・・でも私だってコト、わかってないかも知れないじゃない―――
だったらいっそのこと、他人のフリをする?
メロディが2巡目に入った。哀は少し緊張して受話器ボタンを押した。
「よぉ!灰原ぁ。久し振りぃ!元気だったかよ〜(笑)」
間髪を入れず、受話器の向こうから懐かしい声が響いてきた。
「・・・ったくよぉ〜。いつまで待たせてるんだっつーの。早く出ろよな〜(笑)」
新一の声だった。
「工藤君?ホントに工藤君なの?」
さっきの迷いはどこかへ吹っ飛び、哀の口からは自然に言葉があふれ出てきた。
「だ、だって・・・。まさかこんなに早く掛けなおしてくるなんて思わなかったから・・・。
ちょっとビックリしただけよ(笑)」
折り返しの電話に驚いたのは確かだが、着信履歴だけで哀だと確信して
掛け直してきた新一が、彼女にとってはたまらなく嬉しかった。
「オレさぁ、オメーの電番聞くの忘れちまっただろ?こっちから掛けようがねーから・・・
ずっと今まで待ってたんだぜ。マジで一年間も掛けてこねぇんだからよぉーっ!」
新一は少し、ふてくされたような感じで言った。
でもそんな彼の声は、哀にとっては懐かしく、そして唯一心がやすらぐ、やさしい響きだった。
「あら、そうだったかしら?そうね・・・そのあいだ、お金には困らなかったのよ(笑)」
哀は久し振りに、シャレっぽい言葉を口にした気がした。
「ハハハ・・・相変わらずだなぁ。思ったより元気そうじゃねーか。白衣姿もけっこう似合ってるしな。」
「え?どうして白衣着てるって知ってんの?・・・ちょっと!今どこにいるのよ!」
哀は耳に携帯電話をあてたまま、慌てて辺りを見回した。
「なぁ〜に寝ぼけたこと言ってんだぁ?今日、入学式だっただろーが。
せっかくオメーの後輩になったんだからよー。こっちに出て来て祝ってくれよ!」
「え???ちょ、ちょっと待ってよ・・・。後輩になるってどーゆーこと?こっちって・・・どっちよ?」
新一に先手を打たれたコトがなかった哀は、どことなく戸惑いを隠せない。
だいたい哀がこの大学にいることは、誰も知らないはずだった。
「冗談だろ?まだ気付いてねーのかよ!鈍感なオメーなんて、らしくないぜ?灰原ぁ。」
受話器の向こうと同じ声が、渡り廊下の向こうからもこだました。
「く、工藤君!」
そこには新一が携帯電話を片手に立っていた。
片時も忘れたことのない・・・いつもいつも、夢の中でしか会えなかった人。
「どうしてここが?・・・・・・」
「なめんなよ(笑)俺は探偵だぜ?」
新一はちょっと得意げな顔をして、笑いながらゆっくりと哀の元へ歩いてきた。
「だいたいよー。おめー、連絡よこす気なんかなかっただろ?こっちからは連絡取れなかったんだしよ〜。
だったらオレの方から探し回るしかねーなって思って・・・。これでも探したんだぜ!あちこち(笑)」
「そう・・・。それは早く見つかっちゃって、残念だったわね。」
「ふ〜っ。相変わらず・・・ひねくれてんなぁ、おまえ。
この大学に入るために、いちおー受験勉強したんだぜ!ちょっとは、ねぎらいの言葉でも掛けてくれよな(笑)」
「・・・そうね。それはお疲れサマ(笑)」
新一の言葉の一つ一つが、哀にとっては言いようがないほど嬉しかった。
「ホントはよ!電話が掛かってこなかったとしても、今日は必ずオメーの目の前に現れて驚かせてやろー、
って思ってて、さっきから近くにいたんだけどよ。なんかこう・・・声をかけるタイミングがなかなか難しくってさ。」
「え?じゃあ、いったい・・・いつからそこに・・・・」
「いつからって・・・・オメーからの電話が入る、ほんのちょっと前・・・からかな?」
新一は少し照れながら言った。
カーーーーーッ
顔が熱い。哀は自分でも、赤くなっていくのがわかった。
さっきからの行動・・・ずっと見られていたのかと思うと、哀はたまらなく恥ずかしくなったのだ。
慌てて電話を切ったかと思うと、さっとポケットにしまい込んで、その赤面した顔を窓の方へと向けた。
そうやって哀の背を向けたしぐさが、新一には彼女の照れ隠しだということなど、気付くハズもなかった。
「おいおい(汗)一年ぶりの再会だってのに、もう怒っちまったのか?」
哀の機嫌を伺うかのように、新一は顔を覗き込むようにして言った。
「べ、べつに!怒ってなんかないわよっっ。」
素直になれない彼女はそう言うのがやっとだった。
そんな口調などまったく気にしない様子の新一は、ちょっと改まって言った。
「そのさ〜今、灰原のケータイから流れてた曲・・・ホラ、何てったっけ?え〜と、その・・・。なかなかいい歌だよな?」
哀は一瞬ドキッとした。そんな言葉が彼の口から出るとは、思いもしなかった。
「あら?おかしいわね。誰かさんは音楽にはウトいって聞いてたんだけど。知ってたのかしら?題名も知らないのに歌詞なんて。」
「あはは、聴いたことくらいはあるって。つーか、オレの今の気持ちによく似てんなぁ!とか思いながら聴いてたからな。」
「・・・・ウソ?」
「ホント!(笑)。けどよ〜、ワリィけど歌ってはやれねぇぜ?なんせオレ・・・」
そこまで言った彼の言葉に、哀は突然、何かを思い出したかのように笑いながら言った。
「オ・ン・チ・だ・か・ら!!!でしょ?(笑)」
「そ〜ゆ〜コト!・・・・って、言わすんじゃね〜よっ(笑)」
君よずっと幸せに 風にそっと歌うよ 愛は今も 愛のままで 揺れる木漏れ日 薫る桜坂 悲しみに似た 薄紅色 君がいた 恋をしていた 君じゃなきゃダメなのに ひとつになれず 愛と知っていたのに 春はやってくるのに 夢は今も 夢のままで 頬にくちづけ 染まる桜坂 抱きしめたい気持ちでいっぱいだった この街で ずっと二人で 無邪気すぎた約束 涙に変わる 愛と知っていたのに 花はそっと咲くのに 君は今も 君のままで
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哀は歌い始めた。やさしくキレイな声を響かせながら―――――
Ah〜逢えないけどぉ〜
季節はぁ〜変わるけどぉ〜
愛しき人ぉ♪〜♪♪
「・・・ちょっと!その音程でハモらないでよ(笑)。人がせっかく気持ちよく歌ってる時に。」
「ハハハハ(汗)・・・やっぱり?ゴメン、つい・・・」
哀は1年ぶりに、心の底から声を出して笑ったような気がした。
君だけが わかってくれた 憧れを追いかけて 僕は生きるよ 愛と知っていたのに 春はやってくるのに 夢は今も 夢のままで 君よずっと幸せに 風にそっと歌うよ 愛は今も 愛のままで
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