a  Wish.....

 

 天気の良い、ごく普通の昼下がり。
 それは、突如として崩される事になる。
 そろそろ夏本番、といった季節だった。









 ――阿笠邸。

「……ヒマね」

 先刻からPCを弄繰り回していた哀が、マウスを投げ出して呟いた。

「て、オメーつい10分前に始めたばっかだろーが、パソコン!」

 結構飽きっぽいらしい。

「そーいうあなたは、さっきからず――っとその新聞読んでるのね」
「え?ああ、まあ……」

 哀はコナンを一瞥すると、再びマウスを手にする。

「……あたし、すっごく言いたい事があるんだけど」
「な、なんだよ?」
「新聞、逆さまよ。」

 コナンがハッとしている隙に、哀は素早く彼から新聞を奪い取った。その下にあったのは、

「ゲームボーイ……」
「ち、違うって……」

 何が違うのかよく判らないが、コナンの手に納まっているのはどこから見てもGBである。

「ゲームボーイ……カラーだって」
「どうでも良いわよ」

 間髪入れずにそう言った次の瞬間、GBはもうコナンの手中からは消えていた。

「ああっ!オイ返せよ!」
「暫らくヒマ潰しになるわね♪」
「せめてセーブさせろコラ!もーすぐクリア出来んだから!」
「……あっ、死んじゃった」
「のわぁ!だからって電源入れなおすヤツがあるかっ!!まだイッキ残ってんのに――!」

 普段、子供らしからぬ二人だが、こんなやり取りをしていればまるで小学一年生だ。

「出来たぁ!!!」

 と、そこに突然、雑音……いや、この家の住人、阿笠博士の歓声が響いた。

「!?何事よ?」
「さ、さあ……」
「とにかく、無視ね」

 本来なら「とにかく、行ってみよう」と言うべきところなのだが、無論コナンも哀に同意した。
 しかし、哀の警戒虚しく、音源は自らこちらにやって来たのである。

「新一君、ついに完成したぞ!」

 扉が勢いよく開いて、歩く音源、博士の登場だ。

「なな、何が完成し、したってゆ〜〜んだよ……」

 ビビリまくっている。

「キック力増強シューズを応用したんじゃが……」

 言いながら博士は小さな男児用スニーカーを得意気に掲げる。
 なるほど、それは一見したところキック力増強シューズそっくりであった。

「これじゃ!コレを履けば、100mを10秒足らずで走れること必至!!」
「はぁ――?」
「名付けて、ダッシュ力増強シューズじゃ!!!」
「………………………………」
「……口裂け女も真っ青……」

 ヒュウウウウウウウウウウウ……。

「は、灰原!よけーなコト言うなよ!更に寒くなっちまったじゃねーかっっ!」
「今ならなんと特別価格一万円、一万円でのご提供です……」
「高ぇよ、オイ!」
「コラコラ!何を遊んどるんじゃ!」

 ゴホン、とひとつ咳払いをして博士が続けた言葉に、2人のやり取りは凍り付いてしまった。

「さあ!試してみてくれんかの――!?」

 長い付き合いの新一ことコナンは勿論、それほどでもない哀ですら、博士の発明品の実験台になる危険度を充分承知していた。新一の記憶で最も古いものは、幼稚園ぐらいの年の頃「自動水泳スーツ」なる物を装着させられ、川に放り込まれて死の淵をさまよったものだ。

(あの時は川の向こうに花畑を見た気がしたぜ…)

 流石に、有希子が物凄い剣幕で怒ったので、その一度きりで博士は大人しくしていた……のだが。
 再発したのは、新一の両親がロスへ行った後。「一人暮しも大変じゃろう」などと言って、「全自動式クッキングマシーン」とやらを持ち、工藤邸へやって来たのだ。結果は……危うく自分がクッキングされるところだったらしい。コナン談。
 哀の場合、パターンは「被験者」でなく「巻き添え」である。爆発のとばっちりなんかはキホンだ。ある時など、ズシーンだかドカーンだか響いて、哀が「またか」と思った瞬間、床が丸ごと抜け落ちたりした。生きていた博士も凄いが、こんな事を日常にしている哀も只者ではない。他にもある。例えば、「ホットケーキ製造機参号」が暴走し、その後一週間ず――っと一日三食、ホットケーキ攻めに遭い、夢にまで魘されたとか。例えば、どう考えても大きすぎる「ゴキブリ全滅磁気シート」にうっかり捕らえられ、ゴキブリと同等の気分を味わい、かなりショックを受けたとか。
 詰まるところ、「キック力増強シューズ」や「蝶ネクタイ型変声機」などのお馴染みアイテムは、多くの犠牲と信じられない運の上に成り立っているのである。そういう訳で、両者ここは何としても「被験者」になるのを免れたいところであった。

「いや、ホラ、こんなトコじゃ試せねーじゃん!」
「それもそうじゃな、外へ出るか」
「あ――っ、ああ雨降ってるかもしんねーぜ!」
「さっき見たら晴れとったぞ?雨音もせんし」
「あたし、カゼ気味だから……2人でやっててちょうだい」
「ウソつけ!ピンピンしてたじゃねーか!」
「失礼ね、ホントよ!」
「じゃ、じゃーオレも!何か熱っぽいんだよ――……」
「あらぁ、だったら尚更、身体動かして、汗かいた方が良いかもよ?」
「テメー、矛盾してるっつ――の!!」
「そうじゃ、もうひとつあったんじゃった!伸縮サスペンダーを改良したんじゃが……」
 
 博士がふと思い出して口を挟んだ。

「レディファーストだ!オメーから先にやれよ、オレ、後から試すから!」
「冗談じゃないわよ!あたしはこの若さで命を終えよーとは思わないのよ!」

 が、しかし誰も聞いていない。

「おまえ18歳なんだろ!?オレのが若いんだよ!!羨ましーだろー!」
「言ったわね!お子ちゃまのくせして!」

 主旨が代わっている上にヒートアップしている。もう誰にも止められないかと思われたが、

「わあっ!?」
「!?何、博士……」
「う、うわ!?」




ぎゅむっ。




「……伸縮サスペンダーを改良してな、一番伸びきった状態で相手の身体に投げ付け、刺激を与えると、自動的に縮んで相手の身体に巻きつきロープの役目をしてくれるようにしたのじゃ!オートロックで外れんし、強度もアップしておいたぞ!」

 得意気に説明をつける博士。

「ちょっ……工藤君、離れてよ!?」
「無茶ゆうな!オレの所為じゃねぇっての!」
「!!い、やあっ!ドコ触ってるのよエッチ!!!」
「なっ、オ、オメーが動くからだろ!?」

 しかし、やはり誰も聞いていなかった。
 先程まで2人、向かい合って命を賭けた口喧嘩をしていたコナンと哀。そこへ、例のサスペンダーを持った博士が躓いて転んだ際に手から離れたそれが、飛んできたのだった。
 かくして2人は仲良く抱き合う格好のまま、固定されてしまったのである。

「博士ぇ!これ、どーやって外すんだよ!?ボタン押しても緩まねーぞ!?」
「だから言っとるじゃろう、オートロックだと。人の話はちゃんと……」
「いーから早く外せっっ!!」
「まあ、そう赤くならんでも……」
「!!な……ってねーよ!暑苦しーだけだぁっ!」
「ちょっと……そんな思いっきり否定する事ないでしょ……傷付いたらどーしてくれるのよ」
「そんなタマかよ!」
「……解放されたらチカン小学生だって触れ回ってあげるわね」
「ごめんなさい失言でした……」
「で、博士?何してるのかしら?」
「ん?あ、いや……」

 何時の間にか博士が家捜しを始めている。

「ロックを解除する為の暗証番号を入れてあるんじゃが……」

 厭ぁ〜〜な予感が2人を襲った。

「忘れんよーに書いておいた紙を失くしてしまったみたいじゃ。」

 お約束。
 ハハハと笑う博士の声に比例して、2人の青くなった顔は、朱に変わっていったのだった。









 ――十数分後。

「な、なあ……」
「何よ」
「立ってんのもそろそろアホらしーから座らねぇ?」
「どーやって?」
「………………」

 因みに、博士は引き続き家捜し中である。

「……なぁ」
「何よ?」
「おまえ……何か大丈夫か……?」
「は?」
「すげー動悸が早ぇぞ?熱あるんじゃ……」
「言ったでしょ、カゼ気味だって」
「……あ、本当だったのか……」

 
 ……沈黙。

 
「あ、なっ、なあ!そーいや解毒剤、どお?」

 コナンが間を持たせようと言ったその言葉は、哀をいちいち失望させた。
 話題と言えば此れしかないのか。やはり、彼を繋ぎとめるものは此れだけなのか。

「まあ……
まだまだ、ね」
「そっかぁ……。ま、そう簡単に出来るモンじゃねーよな」

 なら、全てが終わった時、自分はどうなってしまうのだろう。
 存在理由は?価値は?居場所は?

「……やっぱさ、こんな引っ付いてると何かなぁ……照れるよな――?」
「別に?」
「……カワイクねーの……もっとさ、子供らしく、素直さってモンを覚えた方がいいぜ」
「御忠告ありがと。でも生憎、あたし子供じゃないから。それにあなたは……そうね、もう少し自重という言葉の意味を理解すべきだと思うわよ」

 哀は、ふと真顔になって、

「じゃないと、解毒剤が出来たって、あげないから」
「お、おいおい……」
「ふふっ……なーんてね……」

 その言葉に、コナンが少しばかりかなしげな表情を見せた。
 これは、さすがの哀にとっても予想外だ。明らかに動揺して、視線を逸らす。

「なな、何よっ……」
「あ……い、いや……し、しっかしアレだな、立ってんのもいい加減疲れたよなあっ」

 コナンもまた、この哀の反応は些か意外であったようだ。
 哀は、騒ぐ胸を宥めながら、平静を装って答えた。

「そーね……」
「せめて壁にもたれねー?少しは楽かもっ……」
「ええ……え?あ、ちょっ……待……」


 ……もう一度確認しておくと彼等は今、いわば自由を奪われた二人三脚のような状態である。
 どちらかが好き勝手な行動をしたら、その体勢はどうなるか。
 当然の結果、バランスを崩す。




どさぁっ。




「………………………………」

 2人の身体は、当然の如く、それぞれの意思に反して折り重なった。
 見ると、拍子にサスペンダーが切れている。
 やっぱり博士の作るモンだな。コナンは思いながら身体を捩ったが、自由が利かない事に気付いた。

「は、灰原?」
「………………」
「おい……どけよ?」
「………………」
「立てってば、灰原?」

 哀の反応は無い。もしかして頭でも打ってキゼツしてるとか……?しかし、体勢はコナンが下だ。打ったとしても、コナンの身体がクッションになるので、気絶するほどには至らない筈である。しかし同時に、この状態では哀の様子が確認できない。
 
(鼓動も伝わってくるし、胸の上下もあるから心配ないと思うけど――……)

 考えて、少し赤くなる。

「お、おい、灰原?だいじょーぶか?」
「……ええ」
「は……何だよ……!だったら早く返事しろよな」
「……ごめんなさい……」
「いや、謝らなくてもいいけどよ……」
「素直に……」

 哀が、殆ど吐息のような、擦れた声で言った。

「はっ?」
「素直になれって……あなたが言ったのよ……」
「な……っ」

 コナンが言葉に詰まった瞬間、哀が突然身体を起こした。

「ほら……困るんでしょ……あたしが素直になったら……!」

 哀の眸は、真っ直ぐにコナンを映している。

「どーして?どーして、いい加減な事……止めてよ……止めて……」

 眸に映ったコナンの姿が揺らいだ。

「いい加減……なんかじゃねーよ……」

 コナンは、自分でも驚くほど冷静だった。
 そして、いつもの冷静さを失った少女を見つめた。

「いい加減だったら、命なんか賭けねーよ……おまえを助ける為に、自分の命賭けたりなんか……」

 言葉を続けるコナンに、睫毛を震わせている眼の前の少女は、ひどくちっぽけに見えた。
 哀は思う。此れまで、幾度となく死を考えた。それでも生きようと思ったのは、この命があったからだ。彼が、理由はどうあれ自分の命を賭けてまで、救ってくれた命が。そして、彼を守りたかったからだ。彼の傍に居たいと願ったからだ。全ては其処からだ。

「おまえは、自分がオレを無理に繋ぎ止めていると思ってんだろ?」

 違うの?と、訊く。

「やっぱな……オメーの事だから、そーだろーと思った。でもな……」

 初夏の風が、カーテンを翻している。

「オレだって、おまえを無理に此処に居させてるんじゃねーかと思ってたんだぜ……死のうとしてたおまえを、無理矢理に生かして苦しめてんじゃねーか……ってな」
「……それって……」

 哀は何か言いかけたが、そこで言葉を切ってしまった。
 少しだけ甘い沈黙が流れて、ふいにコナンが外に眼をやった。

「外、出るか……」
「え?」
「すげーいい天気だし……!」

 少し照れ臭そうに、ニッと笑うコナンにつられて、哀もぎこちなく微笑む。
 そろそろ夏本番、といった季節の事だった。


























 

 部屋が無人になって暫らくした頃…。

「やっと見つけたぞ!暗証番ご……んあ?オーイ、2人とも何処じゃ――!?」

 誰も居ない阿笠邸に、虚しく声を響かせる博士が、壊れた自分の発明品を目撃するのは、それから少しも経たぬ内のことであった。

 

 

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