「あれ?」

 子供の眼は敏感で正直だ。
 見たことの無いもの、身体が興味を示すもの。すべてを躊躇いなくしっかりと捕らえ、悪気なんて一欠片もなく、情報を吸収していく。まるで、ふわり積もった初雪の上に溶かした絵の具を垂らすみたいに、みるみると色を付けていくのだ。
 4歳の少年は、自分と違うものを鋭く感じ取っていた。
 野球帽を目深に被って、橋の下に座り込んでいる男の子。背格好から、自分と同じ歳の頃合いか、それより下に見える。

「おまえ、何やってんだ?こんなとこで」
「……!!」
「雪降ってんだぞ、オシリ冷えちゃうぞぉ?」

 突然声を掛けられ、男の子は顔を上げた。だが、慌てたようにまたすぐ俯いて、

「……、――……」
「あ?何か言った?」
「……ダメ……」
「だめ?何が?」
「Stand off!!」

 いきなりそう叫ぶと、ついには泣き出してしまったのだ。
 あっけにとられたのは声を掛けた少年の方である。
 目の前の子が泣いている理由も判らない。と言うか、何て言ったのかさえ判らない。
 どうにかその場を取り繕おうとしたのか、あるいは単に何も考えていないのか。
 少年は、ニカッと笑ってある行動に出た。

「なぁなぁ、おまえ、眼ぇ開けろよ」
「No....」
「ほーらぁっ!こっち向けって!」
「Ouch!Stop!ヤメテヨ!」

 こうと決めたら引き下がらない。
 彼の必死の訴えにも耳を貸さず、まず帽子に手を掛ける。帽子を取られそうになったことに一瞬ひるんだ隙を突いて、今度は顔を引っ張ったり、押さえ付けたり、もう目茶苦茶だ。
 たまらずに泣いた眼をこすりながら顔を上げた彼の、濡れて鏡のようになった瞳に、少年の好奇心に満ちた顔が映った。

「うわ〜やっぱり!青いんだぁ!すげぇ!!なぁなぁ、何でなんで!?」
「……?」
「眼!眼だよホラ!」
「……ボク、AmericanとJapanese、はんぶんデス」
「え?アメリカ?ってガイコクの!?アメリカ人なのぉ!?」
「ママ、American。ダディ、日本人デス」
「は?だでぃ??」
「……パパ」
「かーちゃんがアメリカ人で、とーちゃんが日本人?へぇ〜、変なの!」

 その一言に傷ついたように、唇を噛む。伏せた大きな青い眼には、再び大粒のしずくが浮かんだ。

「〜〜〜〜〜〜っ」
「あっ……ゴメンゴメン!珍しいってことだよ!」
「メズラシィ?」
「ああ!かっこいいぜ!判るか?カッコイイ!」

 慌ててそう言うと、男の子はやっと少し笑った。
 少年はほっとしたように、

「オレはタカオ!おまえは?」
「ボク、Max」
「マックスか!よろしくな!」

 満面の笑みで笑うタカオに釣られたのか、マックスもさっきより一層にっこりと微笑んだ。

「実はさぁ、オレ、剣道のケイコ、サボってきちまったんだぁ!」

 特に行くあても無い二人は、そのまま川原でじゃれ合ったり話をしたりしていた。
 とは言っても、大体喋っているのはタカオで、マックスはにこにこしながら聞いているのが殆どだったが。

「ケンドー?」
「こーゆうのだよ」

 タカオが竹刀を振るふりをしてやると、マックスは眼を輝かせて喜んだ。

「Wow!You're a samurai!So cool!」
「え?サムライ?ちょっと違うんだけど……」
「But, サボる、ワルイコト!Dady always told me」
「だってぇ初雪だぜ!しかも珍しく積もったんだぜぇ!大人しくしてられっかよ!」
「ユキ……a-ha, snow!I got it!」

 タカオが、手近な雪の塊を掴んで川へ投げながら言い、マックスが歓声を上げる。
 言葉はお互いによく判っていない。
 けれど、そんなことは関係がなかった。

「タカオ!Let's play!」
「ぶわっ!やったなぁコイツ!」

 突然、雪球を投げつけられて、タカオも立ち上がる。
 試合開始のゴングが、二人の間だけで鳴った。雪合戦の始まりだ。
 お互い息をつくのも忘れたように、間髪入れず雪を掴んでは投げるの繰り返し。
 最後は、雪球というよりただの雪の投げ合いのようになっていたが、二人は耳が真っ赤になるまで笑い合った。

「あ──……腹減ったぁ……」

 小一時間はそうしていただろう。
 どちらからともなくひっくり返り、タカオが呟いた。
 ちらちらと雪の降る川原に、寝っ転がった子供が二人。
 息が、白く空へ消えていく。
 真っ白な、空だ。

「Hey, タカオ」
「あ?」

 ふいにマックスが呼びかけた。
 タカオがそちらに顔を向けると、マックスはおもむろに起き上がり、タカオの顔を覗き込んで被っていた野球帽を取った。
 雪合戦中も、しっかり抑えて放さなかった、小さな帽子。

「わぁ!すっげー!本物のキンパツじゃん!キレイだなぁ……!」
「It's a secret」
「え?」
「ヒミツね。タカオ、トクベツ」

 そう言って、イタズラっぽく笑う。
 身体を半分起こしたまま、その顔を見上げるタカオ。
 白い空に、きらきらと光る金色の髪と青い瞳。
 何だか、とても大切に仕舞われていた宝石を盗み見たような気持ちになって、タカオは少し狼狽えながら、

「で、でも、何で秘密なんだ?」
「みんなとチガウから」

 とだけ答えたマックスの顔は、平然として見えた。

「ボク、明日Americaに帰るネ」

 そう、まるで、平然を装っているみたいに。

「タカオ」
「え?」
「これ、あげマス」

 その手に乗っていたのは、小さな小さな雪だるま。スノーマンだ。
 レイモンド・ブリッグズのスノーマン。
 一晩だけの友達。朝になれば彼は溶けて、消えてしまった。
 あの切ない絵本のストーリーを、彼らは知っていたのだろうか。

「じゃあ、オレもっ」

 タカオが荒っぽい手つきで作った雪だるまは、お世辞にもいい出来とは言えない。
 だが、マックスはとても嬉しそうにそれを見つめると、壊さないようそっと両手で受け取った。
 白かった空に、いつの間にか闇が滲む。
 それに気付いたのが合図のように、二人は立ち上がった。
 そろそろ、帰らなくてはならなかった。

「アリガト、タカオ!」
「へへっ……ありがとな、マックス!」

 見るもの全てを吸収してしまう子供の眼。
 彼らの毎日は、大人達のそれとは比べ物にならないくらい目まぐるしく過ぎてゆく。
 小さい頃の記憶が誰しも曖昧なのは、きっとその所為だ。
 だけど。

「……またなぁ!!」

 タカオが、小さな後姿に向かって声を張り上げた。
 忘れるわけではない。
 一度刻んだ一日は、決して消えることはない。
 大事に仕舞いこんで滅多に出しはしない宝石でも、その存在を忘れることはないように。

 異国の姿をした少年が、振り返って、笑った。

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