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 空は透明に澄み渡る。その薄いラベンダー色の向こう、遥か遠くで、燃える星々が幾度も誕生と死を繰り返している。一瞬だけの果敢無く美しい時。夜明け前の空を仰いで、少女はバルコニーの手摺りにもたれた。飾り気の無いストラップレスブラとジーンズ。寒いくらいの外気が、逆に心地良い。不意に、良く知った煙草の匂いが鼻腔をくすぐった。

「なんでそんなトコ突っ立ってる。入れよ」

 少女はチラッとそっちに眼をやったが、すぐに向き直った。

「あなたこそ、外に出て。匂いが付くから、部屋で煙草は吸わない約束よ」

 それに答えず、男はまだ火をつけて間も無い煙草を、手近な空缶にねじ込んだ。

「もう行くぜ……おい」
「何……」
「来いよ」

 ちょっと肩をすくめると、今度は言われた通り部屋の中へ戻る。途端に息が詰まるほど強くかき抱かれ、少女は小さく声を漏らした。その腕の強さ、温かさに少女が陶酔しきる前に、男はパッと身体を離した。
 もう夜が明けるのに、ちゃんと泊まっていけば?
 口に出しては言わない。男にそんな気はさらさら無い事を、少女は良く判っていた。男が出て行った後、自分の部屋をボンヤリ見回す。植物は一切無い。白い壁にライトグレーの絨毯。アルミ製の家具が多いので、メタルシルバーがやけに目に付く。およそ生活感の無い部屋。真っ赤なベッドカバーのシングルベッドを置いた一角だけが、燃えているように緋い。
 少女はそこに腰掛けると、側に置いてあった砂時計を自分の眼の高さで引っ繰り返した。手の傾きによって、遅くも速くもなる砂の流れ。引力に引かれて流れる砂粒を見つめていると、まるで自分がその幾千の粒に埋もれていくようなヴィジョンに囚われる。
 ひとりで居るには寂しすぎる部屋。ましてや、まだ中学生の少女がだ。けれど彼女は、そんなことまるで平気だと言わんばかりに、砂時計を放りだしてカーテンを引いた。そしてそのまま寝入ってしまう。夢の中とて、彼女には安心できる場所ではないのに。
 少女の名は宮野志保。彼女は疲れきっていた。









 その日は朝から憂鬱だった。躰中が曇っている感じ。けれど起きなければ。今日も学校ヘ行かなきゃならない。学校は好きだった。行けば、何も考えずに済む。ただ、与えられたノルマを無心にこなしていけばいいだけ。
 ふと立ち止まる。誰かの視線。こういうものには、知らず知らずの内に敏感になっていた。第六感とでも言うのだろうか、自分に送られてくる信号を無意識のうちにキャッチしてしまうのだ。

「………………」

 振り返った先には、ひとりの男の子がたたずんでいた。背丈からして年の頃は11、2歳と言ったところか。色が白く、華奢な体付き。少し引っ掛かったのは、その身体にそぐわない大人びた顔立ちだ。そう、大人びた顔立ち、と言うには少々面差しが大人になりすぎているような気がして、なんだか妙な違和感を感じる。しかし一番印象的だったのは、碧く澄んだ瞳だった。その眼が、真っ直ぐ志保を見据えている。

「こんにちは」

 彼が口を開いた。

「……どこかで会ったかしら」
「ううん、初めまして」
「あたしに何か?」
「何も。ただ………」

 瞬間、碧い大きな瞳で心臓を貫かれた、と志保は思った。彼は続ける。

「君が泣いていたから」
「あたしが?泣いてなんか、いないけど」
「うん、でも、悲しそうだった」
「……からかってるの?あたし、急ぐんだけど」
「用事?それって大切な事?」

 志保は少々うんざりして、

「ええ、大切よ。あなたも行くでしょう、学校」
「行かないよ」
「あら、登校拒否?」
「違う。おれ、もう中学卒業したし」
「え?あなた、いくつなの?」

 日本で飛び級制度はあまり聞かない。志保は当然の質問をした。
 彼はわざとらしく答える。

「忘れた。でも、そんなに歳はとってないはずなんだけど」

 目の前に居るのは、どうみても小学生か、背の低い中学生くらいの身長の男の子だ。しかし志保自身、今現在、歳のわりに背は低い方だったので、彼が高校生かそれ以上だったとしても、その点は別に不思議とも思わなかった。
 気になるのは、その顔である。なんだか頭と体が別のパーツをくっ付けたみたいなのだ。そこまで考えて、志保はさっき自分が覚えた違和感は“これ”だったんだと悟った。

「ねぇ、君、おれに付き合ってくれない?」
「今から?駄目よ」
「お願い、何かの縁だから。思い出が欲しいんだ」
「思い出?」

 何ら表情を変えることもなく、彼は言った。

「おれ、もう死ぬことにしたから」