.

Home, Sweet Home −前編−

. 
 鷲羽が寝込んだ。
 つっても病気や怪我とは違う。ヒューマノイドタイプの女性生命体の多くが、周期に伴って陥る不快状態。
 周期的緊張症候群。地球で言う生理痛ってやつだ。
 別に、心配はしてない。むしろ、普段の仕返しをするチャンスだと思った。
 あの怪物がダウンするなんて、ヤリが降るより低い確率だからな。
 だからあたしは、昼寝の時間を割いてまで、わざわざあいつの部屋まで行ったんだ。
 そしたら鷲羽のやつ、腹が痛い痛いってうわ言みてーに繰り返してるもんだからさ。
 拾い食いでもしたんじゃねーのかーって、様子見がてらにからかってやった。

「あんたじゃないわよ」

 って鷲羽は睨んできたけど、動けないから何もできやしない。
 すぐに目をつぶって、あたしが来た時と同じように眉をしかめて唸り始めた。
 いい感じの反応だ。正直、ざまあみろって思ったね。さぁて、これからどーしてやろうか。
 様々な復讐パターンを思い浮かべてほくそ笑みながら、あたしは鷲羽の様子を窺った。
 さっきからずっと、青い顔で呻き続けている鷲羽。寝床ん中で身体をくの字に折っているから、表情はよく見えない。
 うっすらと汗ばんだ額に、寝乱れた髪が張り付いているのだけが判った。

「……用がないなら出て行きな」
「何だよ冷たいな。せーっかく見舞いに来てやったってぇのにさあ」
「出て行けって」

 また睨まれた。痛みを堪えて絞り出した声なもんだから、余計にドスが効いてやがる。
 こりゃあ、かなり機嫌が悪いな。もし元気な時にここまで怒らせたら、星の一つや二つがブッ飛ぶくらいじゃあ済まないかもね。
 でも、んなこた今はまったく問題なしなし。何たってこいつは、う・ご・け・な・い・んだからさっ。
 あー楽しくなってきた。まずはこいつの弱みになりそーなもんでも探すか。その方が殴ったりするより、後々役に立ちそうだもんな。

「はいはい。出てきゃいーんだろ出てきゃ……あッ!やっだ〜あ、ぶつかっちゃったあ〜」

 なんつって、わざとらしく棚のモノをひっくり返すあたし。
 鷲羽がうんざりした視線を、弱々しくこっちに向ける。
 でも起き上がれない、即ちなーんにもできない!う〜ん、快感!

「あーらら、片付けなくっちゃあ」
「ちょっとお……」
「んーと、これはどこにあったのかなー。なになに?ふんふん……あっらやだ、コレってぇ〜」
「……?」

 そんなこんなで漁っていたら、随分古いタイプのデジタルペーパーを見付けた。
 実際、鷲羽の部屋には探さなくたって古臭いもんがたくさんある。よく知らないが、多分そーいうのが好きなんだろう。
 だからこれだって、そんなに珍しいもんじゃあなかった。
 ただ、比較的新しい(とはいえ、数千年は前のものに見える)資料の隙間に、無造作に挟まっていたからちょっと気になったのだ。
 こういう時のあたしの勘は、たいてい当たる。
 書かれている内容に一通り目を通した後、これみよがしに鷲羽の鼻っ先でヒラヒラさせながら、わざと仰々しく言ってやった。

「ラブレターってやつじゃ、ござぁませんこと?」

 一瞬、腹が痛いことすら忘れたかのように、きょとんとする鷲羽。
 そしてそれが何なのか認識した瞬間、普段から憎たらしいほど大きな瞳をさらに見開いて、物凄い形相であたしを見た。
 咄嗟に引ったくろうと出してきた手を、すかさず避ける。まったく、床に臥せってる奴とは思えない俊敏さだ。
 でも、獲物は鷲羽の指先を掠っただけで、まだあたしの手の中にある。
 いくらこいつでも万全な状態じゃないのに、あたしと張り合えるわけがない。手足のリーチだって、こっちが上だかんな。
 奪い損ねたことに相当腹が立ったのか、鷲羽は真っ赤になって表情を歪めた。
 さっきまで死人みたいに青白かったくせに、忙しい奴だ。

「あっ、あっ、あんた……!」
「あはっ、やっぱりそうなんだ〜」
「どっからそんなもん……!!?」
「わしゅう〜。これ、誰から貰ったの?それともお前が書いたんだったりして?」
「ばっ、貰ったのよ!」

 吐き捨てるように言って、目元の辺りまで毛布をぐいっと引っ張った。妙な仕草だ。まるで隠れようとでもしているみたいな。
 こいつぁいいや。あたしは思わず心ん中で、にんまりした。
 もしかしたら顔にも出てたかもしれないけど、そんなことは気にすることじゃない。
 いつだってすかしてやがって、食えない奴。そんな鷲羽が、今みたいにに感情をむき出しにするなんて、面白すぎるじゃねぇか。
 あたしは調子に乗って、

「へええ、誰から誰から?」
「うるっさいね、この娘は」
「いーじゃねえか。教えろよ」
「……天地殿」
「!!?」

 ソッコーで玉砕した。

「魎呼には内緒にしとこうと思ったのに……。見付けられちゃ、しょうがないわねぇ」
「てってんめー!どういうことだよ!?何で天地がお前なんかにっ……」
「ぬわーんちゃってウッソ〜」
「うっ……!?」
「天地殿がそんなもんに手紙を書くわけないでしょ。ホント馬鹿ね」
「〜〜〜〜〜〜っ!」

 具合が悪いくせに、何でこんな減らず口が叩けるんだ。
 何であたしは、こいつに敵わないんだ。
 こいつがあたしを作った張本人だからか。
 悔しい。そんな理由、認められるかよ。
 無性にむかついたあたしは、何か言い返してやろうとしたんだけど、顔をあげたら何も言えなくなった。
 鷲羽が、こっちを見ている……いや、見ていない。
 こっちを向いてはいるけれど、その視線は手紙もあたしも通り越して、遥か彼方の記憶の何処か。

「……まだ、あったんだ」

 その呟きで、判ってしまった。
 さっきこいつの頬を紅潮させたのは、怒りでも苛立ちでもない。
 この手紙の送り主だ。
 あたしの知らない誰か。かつて、この文面にあるような想いで、鷲羽の傍に居た誰かだ。
 いつだったか、こいつが自分の過去を語ったことがある。旦那や子供と引き離されたと言っていた。
 だけどそんなこと言われたって、あたしにはピンと来ない。
 愛おしそうに目を細める鷲羽を、あたしは何だか初めてのものを見るような気持ちで見ていた。

.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.

 むしゃくしゃする。
 あの後、痛みをぶり返した鷲羽がまた毛布に潜ってしまったので、あたしは逃げるようにして部屋を出た。

『それ、その辺に置いといてね』

 去り際に、鷲羽がベッドの中からあたしに投げた言葉。横を向いたまま言うその態度が、妙にカンに障った。
 何だってこのあたしが、こんな不愉快な思いをせにゃならんのだ。
 気分転換に、阿重霞にでもチョッカイ出して遊んでやろーと思ったのに、珍しく砂沙美と買い出しに行ったらしい。
 魎皇鬼と天地は畑だし、美星はパトロール。
 そんなわけであたしは一人、梁の上で寝っ転がっている。
 いいんだ、あたしゃ孤独な宇宙海賊。泣く子も黙る魎呼サマさ。とか何とか考えたって、虚しいだけだった。
 せっかくあいつに勝てそうで、楽しかったのに。苦しげに呼吸するあいつの姿を思い出しても、今はもう面白くも何ともない。
 しかし、ありゃそんなに痛いもんなんだろうか。地球にも、痛み止めとかあるんだろうか。
 何となくすることもなくて、気まぐれに薬棚を物色してみた。
 胃薬、消毒、整腸剤……。あっ、これか、鎮痛作用。でも「風邪による」との注意書きがある。
 風邪じゃないんだよなぁ……まったく、女ってぇのは何かと面倒臭いもんだ。
 子供を産むためだから仕方ないけど、それだって人によっちゃ命懸けだったりするんだからな。

(……そういや、あいつって子供産んでるんだっけ)

 一体いつ産んだんだろう。それよか、あいつはいつ結婚したんだろうか。
 素っ頓狂な奴だから意識していなかったけど、あいつだって女なんだ。
 ふと、我に返った。右手の中で何かの箱がひしゃげている。知らぬ間に握り潰していたらしい。
 自己嫌悪。これじゃまるで、鷲羽のために薬を探してるみてぇじゃねーか。
 何考えてんだ、馬鹿馬鹿しい。あんな奴のことなんか、放っときゃいいんだ。

「何やってんの、魎呼ちゃん」

 突然呼ばれて、ぎょっとした。
 いつの間にか後ろに鷲羽が立っている。

「なんて顔するのよ。お化けでも見たみたいに」
「わっ鷲羽、いつから……」
「それって湿布薬?どっか痛いの?」
「あ、いや……」
「何だったら、鷲羽ちゃん特製の万能塗り薬をあげるわよ〜。因みに、飲むことも可能。ま、ちょーっと口当たりが悪いけど……」
「じゃなくて!」

 このままにしとくといつまでも喋り続けるだろうと察したあたしは、慌てて制止した。
 見ると、髪がいくらか乱れてはいるけれど、顔色はだいぶ良くなっている。
 さっきまでブッ倒れてたくせに、何でこんなピンピンしてやがんだ。

「おめー、腹イタは?」
「えっ?あ〜、いやぁ、やーっと薬が効いたみたいでさ!もうバッチリバッチリ!」
「……あ、そ。その万能薬とやらの効き目ってか。さすが天才の薬だね〜、効果が早いわ」
「いんや。飲んだのは地球の市販薬。なんぼのもんかと思ってねー、試したかったのよー!なっかなか効かないんだこれが!」
「………………」

 何か、一気に疲れた。
 あんな死にそうな声出してた奴が、今は殺したいくらい能天気に笑っている。
 しかも、具合が悪かったのだって半分は意図してのことだと来た。いわば、自分を実験台にしたってわけだ。
 いつものことだが、やることが普通じゃない。

「で。魎呼ちゃんは何だって薬棚を見てるわけ?」
「……別に。暇だったから、何かないかなーと思っただけだよ」
「何か、冷蔵庫を漁ってる子供みたいな理由だなぁ」
「うっせー」

 あたしは潰れた湿布薬の箱を、溜め息と一緒に棚に押し込んだ。
 鷲羽は小難しい顔でどこか一点を見つめている。
 あたしの行動を不審に思っているのか。それとも、次はどの薬を試してやろうと思案しているのか。

「……うーむ、意外ね」
「なっ……何が」
「こんな原始的な星の薬でも、ちゃんと効くんだから大したもんよ。かなり時間はかかるけど」
「………………」
「これはちょっと、違う側面から調べる価値はあるわね」
「へーへー。よござんした」

 やっぱり後者だった。
 まったく心底呆れちまう。ほんとにこんな科学バカにも、恋だの愛だの言って結婚してた時代があったのだろうか。
 心なしか目をきらきらさせている今の鷲羽は、確かに可愛いと言えなくもない。
 だけど、次に吐くであろう台詞を予想すると、もしあたしが男だったとしても絶対惚れたりはしない。
 そして案の定、その輝きはそんな乙女チックなものとはかけ離れた理由からだった。

「ね、ね、魎呼ちゃんも飲んでみなさいよう」
「てめぇ〜。毎度毎度ヒトの体で実験しよーとするなっ」
「うぅん。そんなこと言わないでさぁ。人体に対する薬そのものの負担は、極めて軽いんだからぁ」

 一体全体、宇宙のどこに、こんな甘えた鼻声で娘を実験体にしようとする母親がいる!?
 あたしは大声で怒鳴ってやりたいのを堪え、思いっきり皮肉を込めて返した。

「あら〜そぉ〜。でも残念だわ〜。生憎あたしは生まれてこの方、あんな風にのた打ち回ったことなんざ一度もねぇんでな〜」
「げっ、まじ?」
「いったぁ〜いもうダメぇ〜死ぬぅ〜〜なんて、あーんな醜態、このあたしが晒すわけねぇだろ」
「うっ………………。い、いいわね……」

 思わず、ずっこけそうになる。厭味のつもりで言ってやったのに、本気で妬ましそうな顔をされても困るってもんだ。

「ま、あんたの身体は特殊だからね」
「……!」

 やばい、始まった。またこの手の話。
 不意討ちなんて、ずるい。あたしの心臓が、不吉な音を立てる。
 いつの頃からか胸の辺りに根付いていた、よく判らないもの。
 普段は眠っているそれが、鼓動を合図に地中から顔を出して躰中にざわざわと蔦を這わせ、あたしは動けなくなっていく。

「あたしが人工生命体だからってことだろ。それはもういいって」
「というより、その設計の問題ね。戦闘時に不利になるような生理現象は、可能な限り排除するように予めプログラムしてあるの」
「わぁったよ。だからもう……」
「あっ、でも大丈夫よ。排除するのは痛みや不快感といった身体能力・思考能力に影響を及ぼすものだけで、機能そのものは正常にオペレーションしているから」
「ごちゃごちゃうるせーな、止めろ」
「だから天地殿の子供だってちゃーんと産める……」
「止めろっつってんだろ!」

 あたしが声を荒げて、鷲羽の話はピタリと止まった。
 苛立ちを隠さずに睨み付けたあたしを、鷲羽はじっと見つめ返す。

「天地の、子供だって?お前、一体どういうつもりなんだ?」
「……何の話?」
「お前、天地が好きなんだろ?だったらむしろ、お前が産みたいんじゃないのかよ?」
「!」
「それとも何か、母親だから娘に譲ってやるってか?」

 憎い。

「随分とナメてくれるじゃねーか」
「魎呼……」
「何が母親だよ……何がママって呼んでだよ。あたしはお前の存在すら知らずに生きてきたんだ。何で今更、お前なんかにコケにされなきゃいけないんだ」

 大っ嫌いだ。
 科学者の顔をして、自分の作品のことなら何でも知ってるって素振りで語るこいつが。
 いっつも余裕ぶっていて、何者にも侵されないという自信に満ちてるこいつが。
 そのくせ、今あたしの言葉に疵付いたような眼をしてみせるこいつが。
 そんなこいつのことを、さっき頭ん中で一瞬でも『母親』と表現した自分が。

「気に食わないんだよ!お前は!」

 テレポートの瞬間、あいつの声が、聴こえた。

.
.
.
.
.
NEXT≫