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 あれからずっと考えている。

 ――葉くんは、もちろんアンナさんなんでしょ?

 それは、他愛ない会話。誰でも一度はするであろう軽い話題……のはずだった。
 オイラが答えに詰まりさえしなければ。
 あの時の、アンナの眼が忘れられない。
 ついでにまん太の焦りようも。
 でも、あの時「アンナ」と言おうとして、ほんの一瞬感じた違和感を隠すことができなかったのだ。

「うーん……アンナじゃないなら、誰だったんだ……?」

 ふと気付く。窓越しに、しんしんと降る雪。冴えかえる空気。部屋の中でも息が白い。
 大粒の、ぼたん雪。
 オイラが初めて雪を見たのは、確か青森で、10歳の時だったはず。
 なのに込み上げてくる、この妙な懐かしさは一体何なのだろう。何かを思い出せそうな、でも思い出したくないような……。
 このつっかえは何なんだ?

「……これじゃあ、積もらんな」

 蘇ってくる記憶。
 ぼたん雪は積もらない。
 そう言ったのは、誰だった?
 粉雪は形を留めない。
 雪だるまなんか作れないよ、と積もった雪を蹴り散らかして。
 ひるがえったマントの下に、垣間見えた細い腕。
 ぱぁっと咲き散る、白い花。

「……おまえ、誰だ?」

 記憶の影に呼び掛けた。

『おまえ……誰だ?』
『何してるんだい』

 肌を刺すような寒さ。
 そいつはオイラの質問には答えず、そう言って逆に問い掛けて来た。
 時折吹く風が、雪を舞い上げて空へと返す。

『雪なんか捏ねくり回して、何が楽しい?』
『あ、んっと……雪だるま!』

 言ってから、むしろこいつこそ雪だるまが化けて出た奴かもしれん、と思った。
 何しろ、白いマントを口元まですっぽりと被っているうえ、雪にまみれて真っ白なもんだから。
 背格好は同じくらい。ぶっきらぼうな口調だが、その風貌からすると、女の子だろうか。
 大きな瞳、透き通る肌、そして腰に届きそうなほどの長い髪。その綺麗な黒に、纏わり付いた雪がきらきらしている。
 まるで、冬の空みたい。星座がいっぱいなんだ。
 それにしてもだ、こんなところに一人で居るなんて、変なやつ。
 そんなやつは、自分くらいのもんだと思っていたのに。

『雪だるま作ってるんよ。おまえも作るか?』
『無駄だよ……粉雪はなかなか固まらない。雪だるまなんか、作れないよ』
『え?』
『ほら』

 と言ってそいつが足元を蹴り上げると、煙立つように細かく雪が散った。
 粉雪は形を留めない。
 どんなに強く固めようとしても、すぐに砕けて崩れ落ちる。
 何だか、何だかそれはまるで。

『な』
『ほんとだ。どうりでうまく作れんと思った』
『だから無駄だって』
『でも、約束したんよ。作ってやるってな』

 オイラがそう言うと、そいつは不思議そうな眼をした。
 その眼に一瞬、どきり、とする。
 着ているマントでほとんど顔が隠れているから、余計に瞳ばかりが気になった。
 人の眼というのは、一瞬一瞬でこんなにも色を変えるものなのか。長い睫毛。よく見れば、そこにも雪が積もっている。
 きっとマントの下の顔は、結構可愛いんじゃないかな。だって、綺麗な眼をしてるから。
 何故諦めないんだ?とでも訊きたげな瞳のままで、そいつはずっとオイラの手元を見つめていた。

『っちゃ〜〜、駄目かぁ』

 やっぱり、何度作ってもうまくいかない。
 いくら丸め固めても、すぐぼろぼろと壊れてしまう。
 粉雪では雪だるまは作れない。
 そう言った張本人は、訝しげに、時に苛立たしげに、四苦八苦するオイラをずーっと傍で眺めていた。
 こいつもかなりの物好きに違いない。
 ひょっとして、友達がいないのかもしれない。
 だとしたら、オイラとおんなじだ。

『……水』
『え?』
『水があれば、作れる』

 暫くの間黙って見ていたそいつだったが、痺れをきらしたのか、ふいに口を開いた。
 くぐもった声が、少し聞き取りづらい。マントの隙間から、白い息が零れる。

『水なんかかけたら、雪が溶けねぇか?』
『大丈夫、この寒さと積もり具合なら』
『でも……水で雪が固まるなんて、ほんとかなぁ』
『ぼたん雪の積雪は固めやすいだろ。あれは、もともと雪が水分を含んでいるからさ』
『ぼたん雪?』
『こんな風にさらさらじゃない、粒の大きい雪。まぁ、そもそもぼたん雪は積もりにくいんだけどね』

 これだけ気温が低ければ、ぼたん雪でも積もるだろうけどな。
 独り言のように言いながら、空を仰ぐ。
 本当に水なんかで雪だるまが作れるんだろうか。
 半信半疑ではあったが、どうせこのままでは埒があかないのだ。
 オイラは雪まみれの右手を差し出して、笑って見せた。

『それなら、向こうに河があるんよ。一緒に行こう!』
『え?』
『一緒に作ろうぜ、雪だるま』
『……いやだよ』
『何でだ?だっておまえ、雪だるまみたいなのに』
『誰がだるまだ……』
『ともだちになろう!いいだろ?』

 そいつは少し困っているような、戸惑うような様子でその手を見つめると、かじかんだ指でぎゅっと握り返した。
















































『あーあ……』
『これじゃあ水は使えないな』

 あっさりとそう言われて、ちょっと悲しくなる。
 河は完全に凍ってしまっていた。この寒さじゃ、当然のことだったかもしれない。
 どんどん積もっていく雪を見ていると、何だか果てもない世界にいるような気がした。

『作るって約束……したのに』
『そんなに大事な約束なのかい』
『ともだちとの約束』
『ともだち?』
『さっきも居たんだぜ。おまえが来たから、びっくりして隠れちまったけど』
『そうか、そいつは悪いことをしたね』

 別に悪びれた様子でもないのが、可笑しい。
 ともだちについて、そいつは何も聞かなかった。
 興味がないのか、聞かなくても判っているのか。
 ……まさかな。

『そいつが、雪だるま作ったことねぇって言うからよ。じゃあオイラが作ってやるって約束したんだ。そいつは作れんからな』
『ふぅん』
『でも、仕方ねぇや』

 後で謝っておけばいい。こんなことくらいでは、あいつも怒らないだろう。
 少し臆病で不安定。この世のものではない、オイラのともだち。

『戻ろう』
『ああ』

 しかし。
 そうは言ったものの、二人ともその場から動こうとはしなかった。
 まるで、右も左も真っ白な、この世界に囚われたみたいに。

『どうした?戻ろうって言ってるじゃねぇか!』
『知るか。勝手に戻ればいいだろ』

 理由は簡単に推測できた。

『だってどっちから来たんだかさっぱりなんよ!』

 どうやら、迷ってしまったようだ。
 呆れた視線が飛んでくる。こういう時はあまり目で訴えかけて欲しくない。
 暫くその場に立ち尽くしていたが、とにかく動かなければ事態は変わらない。
 行けども行けども同じような景色の続く中へ、オイラは悩みながらも入っていくしかなかった。

『うーん……』
『………………』
『よし!こっちだ!』
『根拠は?』
『……ないけど』

 歩き続けてどのくらい経ったのか。
 30分か、1時間か……何にせよ、幼い足では大した距離は進んでいないだろう。
 来る時は知り尽くした道だったのに、今は何だか、初めて来る森の中で迷ったように心細い。
 それでも何とか強気な判断で今まで進路を選んできたが、改めて根拠などと問われると、正直返す答えがない。
 しかしここで自信を打ち砕かれてはいけないと、歩みを進めようとして、ふと振り返った。
 あいつが立ち止まっている。

『どうした?日が暮れる前に……』
『疲れた』

 それだけ言って、その場にしゃがみ込んでしまった。
 もしかして機嫌が悪いのだろうか。それは当然かもしれない。ただでさえ歩きにくい雪道を、闇雲に歩かされ続けているのだから。

『すまん。オイラのせいで巻き込んじまったな』
『別にいいさ』
『待ってればそのうち……助けが来るよ……たぶん……きっと』
『………………』

 その言葉があまり当てにならないのは、自分でも判っていた。
 黙りこくっているその姿は、本当に気にしていないようにも見えるし、不満の表れにも見える。
 さすがに少々責任を感じて、オイラはなるべく喋りかけることにした。
 そういうのはあんまり得意じゃないのだが、少しでも退屈させないようにと思ったのだ。

『かあちゃん心配してるんじゃねぇか?女子は遅くまで帰らんと、心配されるんだろ?』
『母さんはいない』
『じゃあ、とうちゃんは?』
『父さんは知らない』
『一人ぼっちなんか?』
『……そうだけど、そうでもない』

 うーん、会話ってのは難しい。
 何か尋ねればちゃんと答えてはくれるのだが、その答えが本当に一言だけ。

『雪、止んだな』
『あぁ』
『夕陽にきらきらして、きれいだな』
『あぁ』
『おまえは雪、好きか?』
『普通』

 ほら、一事が万事こんな状態なのだ。これじゃあ、会話が弾むはずも……いや、待てよ。
 もしかすると、こいつは自分のことはあまり喋りたくないのかもしれない。
 だったら、オイラの話をすればいいんだ。それなら簡単だ。きっと。

『なぁ、もうちょっと頑張って歩いてみねぇか。道に出るかも知れん』


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