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 もう一度歩き出しながら、それでもオイラは話しかけることばかりを考えていた。
 先ほどのように一方通行になってはいけない。ここはとりあえず……。

『ぼたん雪のこと、教えてくれてありがとな。おまえって物知りだな』
『そうかい』
『だってオイラ、あんなのちっとも知らねぇもん。粉雪とかぼたん雪とか……ていうか、雪自体あんまり見たことねぇもの』
『この辺は比較的気候が温暖だからね』
『おんだん?』
『暖かいってことさ。山間部でもない限り、なかなか積もるなんてことはないだろ』
『幼稚園の奴らも、雪降っただけで大喜びだぞ!だからこの大雪はキロクテキなんだって、母ちゃんも言ってた』

 キロクテキってすげぇってことなんだろ!と言うと、そいつはにっこり笑った。
 さっきよりも断然口数が多い。やっぱり、自分の話は嫌だったんだな。
 そういうのは、ちょっと判る気がする。
 とにかく、その綺麗な眼が笑ってくれたのが嬉しくて、オイラは喋り続けた。

『粉雪ってのが、あんなに固まらんもんだったとはな〜。どんだけ力いっぱい固めても、すぐ壊れちまうんだもんよ』
『ふふ、でも水を注ぐだけで、あっさり固まってしまったりもするんだよ』
『不思議だなぁ……雪って……』

 ふと、思い出す。
 あの時、ちらっと思ったことを。
 粉雪は形を留めない。
 どんなに強く固めようとしても、すぐに砕けて崩れ落ちる。
 何だか、何だかそれはまるで。

『雪って、まるで心みたいだろ』
『!』

 揺れ動く人の心。固く誓ったことさえ脆く、なのに容易に曲げることは叶わない。
 移ろいやすく、根付きやすいそれに。

『偶然だな……!オイラも同じこと思ってたんよ!雪って人の心みたいだって!』
『はは、気が合うね』

 あ、また笑った。
 少し声を出して、目を細めて。穏やかで、優しげ。だけど開くと、少し哀しそうな瞳。
 これって、どこかで見たことがある。
 そうか。似ている。これ、母ちゃんの眼だ。
 何でこいつの眼と母ちゃんの眼が似ているんだろう。
 そんなことを考えるより、今のオイラには会話を続けることの方が重要だった。

『あーあ、結局雪だるまは作れんかったなー』

 世の中は思い通りにいかないものさ。
 当然のように、大人びた答えが返ってくる。
 思い通りにいかない何かを、こいつも持っているんだろうか。

『……うちもなぁ、おんなじなんよ』
『んん?』
『うちはかあちゃんもとうちゃんもいるけど……かあちゃんは仕事であんまり構ってくれんし、とうちゃんは滅多に帰って来ねぇ……。でも、かといって、一人ってわけでもねぇ』

 じいちゃん。
 たまお。
 あまり会うことは無いが、青森のばあちゃん。
 みんな、オイラのことを好きでいてくれる。
 かあちゃんだって、オイラを大切に想ってくれてる。
 とうちゃんは……正直よく判らんが、それでもとうちゃんだ。会えないのは何か理由があってのことなんだろう。
 大丈夫。愛されてる。
 何度も言い聞かせるのに、何かが満たされない。
 大丈夫だ。一人ぼっちじゃあ、ない。
 だけど、だけど本当は。

『ほんとは、寂しい』
『……え……?』

 思わず、息を呑んだ。心を読まれたような気がして。
 だけど常識で考えれば、そんなことはありっこない。
 だからオイラは、瞬時に納得できる答えを継ぎ接ぎ合わせた。

『あ、あぁ……!そりゃ寂しいよな、こんなとこで迷子んなっちまって……ほんとにすまん!!あっ、寒くねぇか?何ならオイラの上着……あれ?』
『………………』
『そういえば、さっきからずっと……』

 喋りながら、ふと気付く。妙な違和感。
 どのくらい経ったのか知らないが、この雪の中、小さな子供がこんなにも長時間平気でいられるものなのだろうか?
 よくテレビとかで、雪山で遭難した時なんかに「寝たら死ぬぞ!」ってセリフが出てくる。
 体温が下がると眠くなって、寝たら最後そのまま死んでしまうのだとか。
 でもオイラは別に眠くないし、強いていえば少し足が疲れただけだ。
 それどころか、寒さすらあまり感じない。
 ひとりで雪だるまを作ろうとしていた時は、もっと寒かった気がする。
 痺れる手を息であっためながら、雪を固めようとしていた。
 それが、今はどうだろう。僅かに鼻の頭が冷たいくらいで、後は至って普通。
 隣にいるこいつも、疲れたとは言ったが寒いとは言っていない。
 しかも疲れたと言いながら、実際は顔色ひとつ変えずに……。

『!?』

 どさっ、という雪を押し潰した音が聞こえて、我に返った。
 見ると隣にいるはずのあいつが、オイラより5歩くらい後ろのところで、倒れ込んでいるではないか。

『おい、どうしたんよ!?』

 慌てて駆け寄って抱き起こす。
 身体は冷たいのに、額に冷や汗をかいていて、どうみても具合が悪そうだ。
 苦しそうに乱れる呼吸の音を聴くと、顔色ひとつ変えず、なんて考えていた自分を責めたくなった。

『すまん……!なんで気付かなかっ……』
『いや……平気だ……』
『平気ったっておまえ……!』

 突然、遠くで大きな音がしたかと思うと、地響きが起こった。
 静かだった銀世界が一変して、幼い二人に今にも襲い掛からんとばかりに唸り出す。

『!!』
『なっ、何だこの音!?』
『雪崩……!』

 身体が辛いのか、それ以上に事態がまずいのか、そう呟いた顔はこれまで見たことのないほど歪んでいた。
 なだれ。それはオイラも知っている。怪物みたいにすべてを飲み込んでしまうもの。それが今、自分の身に迫っている。
 不気味に揺れる地面の上で、それは何だか他人事のように実感のない現実だ。
 呆けるオイラを尻目に、あいつは努めて冷静に周囲を見回していた。
 ほんの何秒かのことが、永遠のように長く感じられる。
 その永遠も、あいつの叫び声であっけなく終わりを告げたのだが。

『葉!』
『え!?』
『ここに隠れろ!』
『でも……!』
『いいから早く!』

 そこには、斜面から突き出した岩の陰。
 もしかしたら、雪崩の規模によっては何とか凌げるかもしれない。
 しかし、それはとても二人の命を救える大きさではないように見えた。

『何してる、早くしろ葉!!』

 息も絶え絶えになりながらも、必死に名前を呼ぶその声は、ほとんど悲鳴に近い。
 どうして当たり前のように自分を差し置いて、オイラを助けようとするのだろう。
 こいつは、一体何者なんだ。
 一人ぼっちでいたオイラのところに、一人ぼっちで現れた。
 粉雪は固まらない。人の心みたい。そんなことを、一緒に思った。
 それにそう、オイラの名前だって知っていた。
 怖いくらい綺麗な眼をしたこいつ。こいつが。

『駄目だ!』
『!?』
『そこはおまえが隠れろ!オイラは自分で何とかする!』

 何者だったとしても、そんなことどうでもよかった。

『オイラがおまえを守ってやるから!!』

 何もかも、真っ白になった。
















































 その後のことは、あまり覚えていない。
 今思えば、あいつはオイラのために少しずつ巫力を放出して、バリアをはってくれていたんだ。
 幼いオイラが凍えてしまわないよう、気付かないくらい少しずつ、少しずつ。
 あたたかい、巫力で。
 だけど、身体が小さかったせいでうまくコントロールが出来なくて、疲労が激しかった。
 だからあんなにしんどそうだったんだな。
 そう考えると、ちょっと笑える。いや、笑っちゃ駄目だな。
 あいつのお蔭でオイラは助かったんだから。

「あんた、何やってんのよ」

 突然後ろから声を掛けられて、少しだけ驚いた。
 振り返って目に入る、整った眉と瞳は、ちょっと怒っているみたいに見える。
 でも怒ってるわけじゃないんだって、オイラには判っていた。

「……アンナ」
「外は雪よ。なのに窓開けっ放しでニヤついちゃって」

 無愛想なしかめっ面のまま、アンナはオイラの横に並んだ。
 白い息が二つ、少しずれたタイミングで浮かんで消えた。

「ちょっと、思い出してた」
「……何を?」
「んー……オイラ昔な、雪崩に埋まったことがあったんよ」
「はぁ!?」

 あの後。
 身を切るような寒さで目を覚ますと、オイラは雪の中にいた。
 とは言っても、本当に押し潰されて埋まっていたわけではない。
 雪の中に丸く空洞が出来ていて、そこに居たのだ。
 しかも、天井には穴が開いていた。そこから差し込む月の光は、よく覚えている。
 それから程なくして、じいちゃんの式神が探しに来てくれたので、オイラは助かったのだ。

「何それ!聞いたことないわよ!」
「いや、だからオイラも今初めて思い出してだなぁ」
「雪崩に埋まったって……何なのよ空洞って……!まったく、よく生きてたわよ」

 呆れたように言った。それは、オイラもそう思う。
 あの空洞がなければ、確実に死んでいただろう。あの、一度溶けた雪が固まって出来たような空洞。
 多分あいつが、弱った身体で巫力を振り絞り、作ってくれたのだ。
 気が付いた時には、もうどこを探してもその姿を見つけることは出来なかったが。
 まるで、雪だるまが溶けて消えたみたいに。

「てっきり……」
「お?」
「……誰かを……思い出してるんだと思ったわ」
「誰かって?」
「誰かは誰かよ。あたしの知らない……あんたの誰か」
「あー……"初恋の人"ってやつか?」

 葉くんは、もちろんアンナさんなんでしょ?初恋の相手ってさ――。
 そう笑いながらまん太が問いかけた。よくある会話だ。
 オイラだってまさか、その一言からこんなことを思い出すハメになるなんて思ってもみなかった。

「すまんかった」
「何がよ」
「不安にさせちまったから」

 少し嘘を吐いた。
 本当は嬉しいのだ。彼女が不安に思うこと。気にしてくれること。
 不安そうな瞳で、それでもまっすぐ信じてくれる彼女に、満たされていく心。
 申し訳ないなんて、思っていない。そんな自分が居ることに、謝った。

「やっぱアンナだよなぁ」
「だから何が」
「だから、初恋の……」
「フン、白々しい。別にいいのよ、あんたに初恋の人がいたって」
「いやっ、だからほんとだってば!」
「見苦しいわよ葉。だってまん太が訊いた時、答えに詰まってたじゃない」
「そっ、それはその……ていうか!あん時は確かに引っかかる奴はいたんだけど……!」

 そして確かにどきどきもした。でもあれは、恋というよりは魂の高鳴りというか……っていうかあいつ男だったしな!
 まったく、すっかり騙されていたもんだ。なんて言ったら、おまえが勝手に勘違いしたんだろって怒られるだろうが。
 いや、あいつは霊視ができるから、考えるだけでももうバレバレかもしれない。でも、だとしても関係ない。
 だって頭で思うことは、個人の自由なんだからな。ざまあみろ。

「考えた結果、そいつは雪だるまだったので、ノーカウントだ」
「は?」

 意味判んないんだけど、と言いたげにアンナが睨んでくる。
 けれど。

「だから初恋はアンナだ。オイラもそれがいい」

 何よそれ、と、もう照れたような呆れ顔。
 形を留めない粉雪は、水を含んで固くなる。
 人の心はどうだろう。
 オイラは未だに方法を見つけられないでいる。
 見つけられないから、足掻いてる。
 おまえは、どうだ?
 窓の外、積もらないぼたん雪の中で、誰かが笑った気がした。


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