.
 ハオは走った。思い出していた。自分達が今まで歩んできた道。葉と二人。いつも手を取り合って。
 それなりにいい道だった、と思った。それなりにひどい道だった、とも思った。
 ハオは走った。逃げたわけではなかった。葉の言葉に走り出した彼は、迷わず近くの廃ビルを目指したのだ。
 無論、後を追ってきた子供達も続いて廃ビルの中へと入っていった。
 が、しかし。

「バーカ!こんな所に逃げ込んだって、行き止まり……」

 にわかに、子供達の動きが止まった。
 事の異常さに、気付いたのだろう。
 廃ビルに入ってすぐ、彼らの真正面にハオは居た。
 頬に纏わり付く空気が、妙に熱い。
 ハオは自分で自分を抱き締めるようにして、立っていた。
 その身体が目にもさやかに震えているのは、弟を傷付けられたことに対する怒りのためなのか、それとも。
 ただひとつ、はっきりしていることは、ハオにとっても葉は守るべき人間だったということだ。
 葉がハオを守ろうとしたように、ハオも葉を守りたかったのだ。
 ハオが燃えるような眼を見開いた瞬間、あたりは轟音に包まれていた。



 物凄い爆音が聞こえた気がして、葉は身体を起こした。
 まだあちこち痛むが、そんなこと、今はどうだっていい。

「……ハオ?」

 そうだ、ハオ。
 ハオはどうなったのだろう。
 ちゃんと奴らから逃げ切っただろうか。
 まさか途中で捕まったりなんてことは……。
 不安にかられて、空を仰いだ。瞬間、とんでもないものが目に飛び込んできた。
 どこか近くで、煙があがっている。
 さっき聞こえたように思った爆発音は、現実だったのか。

「ハオ……!!」

 いくらも走らぬ内に、煙の出所にたどり着いた。
 人のほとんど寄り付かない、廃ビル。
 それが今、葉の目の前で赤く燃えている。

「!!」

 ドアが壊れ、開けっ放しになっているビルの入口の向こう。
 ハオは、燃え盛る炎を背にして佇んでいた。

「ハオ……お前、何を……!」
「来るな!!」

 それは、泣いてばかりのいつもの兄ではなかった。
 身体が強張る。
 足がすくんで動けない。
 熱風が、葉の肌を舐め回していた。

「泣きたい時は泣けばいい」
「………………」
「だけど、この力は重すぎるんだ。僕にも……そして葉、お前にも」

 炎。炎。炎。
 怒りなのか、悲しみなのか。
 赤く、青く。
 あるいは、その両方か。

「だから……」
「嫌だ!!」

 葉は、声を荒げた。
 必死だった。

「オイラは嫌だっ……お前が!お前が居るから……苦しくても頑張れたのに……!」

 何をどうすれば、目の前の事態が変わるのだろう。
 どうすれば、変えられる?
 いつもただじっと、嵐が過ぎてゆくのを待っているだけだった。
 そうすれば、大切な人は守られる。
 次に目を開けた時には、何もかも元通り。
 何も無かったみたいに、元通りだった。
 だから、判らない。
 ただひとつ、判るのは。

「それなのに……」

 何もしなければ、最悪のことが起きる、ということ。

「それは違うよ」

 はっきりと、ハオは否定した。

「僕の存在が、いつかきっとお前を潰す……いや、もう潰しかけていた」

 重すぎる力。
 重すぎる使命。
 まだ、ほんの子供の二人。
 誰よりも繋がることが出来た、二人。

「お前はもっと、泣いてもいいのに」
「ハオ……!」
「僕は、疲れた」

 ゆっくりと、眼を閉じる。
 燃えるような、瞳を。

「葉」

 唇は、最後まで嘘を吐かなかった。
 良かった、とハオは想った。
 ちゃんと言えた、と。

「ありがとう」

 廃ビルが崩れ落ちる。おもちゃのように。でもそれは、おもちゃを壊したにしては凄まじい音で。
 何も、聞こえなくて鮮明。さいごの、言葉だけ。

「な……んで……」

 守りたかったのに。守ろうとしたのに。守れるのは、自分だけだったのに。
 だって生きようとしていた。生きていていいはずだった。
 力がなんだというのか。蔑みがなんだというのか。ただ、どうしようもなく産まれてきただけなのに。

「オイラ達は……生きてていいはずなんだ……。いいはずなのにっ……」

 葉は、泣いた。声を上げて。
 青く澄んだ空に、黒と白の煙が昇ってゆく。
 おもちゃを壊した、それだけのことだよ。
 そう、言うのかもしれない。
 けれど、そんなのは、ただの綺麗事なのだ。
 葉は、泣いた。かけがえのないものを失くして。小さな光をもらって。
 炎はまだ燃えている。
 どっちつかずの煙は、いつまでも空へと繋がっていた。
.

END