. 次の日、いつも通り登校すると、クラスは騒然となっていた。泣いている子もいる。 何が起こったのか尋ねる相手もいないので、とりあえず席に着き、私は彼らのおしゃべりに耳を傾けることにした。 「殺されたって!」 「えぇマジ!?うそ!?犯人とかは?」 「捕まってないんじゃない?」 聞いたところ、殺人事件。また凶悪犯罪のニュースでも報道されたのだろうか。朝の新聞では、それらしい記事は何もなかったが。 何にせよ、殺人なんて私にとっては、さほど驚くことでもない。 ふと、金魚の贈り主が座っているはずの席に目をやる。彼の姿はなかった。まだ来ていないのだろうか。 (……あら?) よく見ると、彼がいないだけではない。 彼の席の周辺一帯に、人がいないのだ。まるで避けているかのように、誰もそこへ寄り付こうとしない。 異様なほど騒がしい教室。空いた彼の席。 嫌な予感がした。まさか。 まさか殺されたのは……。 「あっ、宮野さん!?」 誰かが呼び止めたが、私は構わず教室を飛び出した。途中、教師に捕まりかけたが、なんとかやり過ごした。 プリーツスカートの裾をひるがえして、校門を抜け、信号さえ無視して走る。こんなに走ったことなんて、今まであっただろうか。 飛び出しそうな心臓を押さえて、私は施設に駆け込んだ。 「ちょっと!!」 一斉に視線が飛んでくる。 私はあの男の姿を捜した。昨日、お姉ちゃんと鉢合わせた、男。彼は部屋の奥の方に座っていた。 「これは一体どういうことなの!?」 「あぁ?」 「あなた、私のクラスの人間を手にかけたわね!?」 「は……組織の人間だとバレた、おまえの責任だろう。片してやったんだ、感謝しろ」 「知られたところで何だっていうのよ、あんな子供に!」 「芽は摘んでおく。当然のことだ」 彼がそう言って、私の頭は何も考えられなくなっていく。 冷静になろうとすればするほど、混乱していく。 「それとも、殺しちゃまずい理由でも、あったのか」 理由、だなんて。 何かがおかしい。 何かが変だ。 理由。理由って何? そんなもの、あるはずがない。 秘密を知られた。だから、消す。 それだけ。 「……そうね。理由なんて、無いわ。騒がせてごめんなさい」 学校には戻らず、そのまま部屋へ帰った。 胸が苦しいような気がする。 ほら、馬鹿な人。やっぱり殺されちゃったじゃない。私にあんなこと言うから。私のことなんて放っとけば良かったのよ。 それにしても、胸の辺りが苦しい。痛みさえ感じ始めてる。 そういえば昨日から気分が悪かった。咽喉に何かつかえてるみたいな感じ。 病気かな。きっとそうだ。金魚の病気が伝染ったんだ。 交錯する思考の中で、私はいつしか眠りに落ちていった。 . . . . . . . . . . . . . . . . . .. . . . . 金魚は今日もエサを食べない。 このままだとどうなるかということぐらい、判っているはずなのに、まるでそれを望んでいるみたいに、自由な金魚鉢の中を泳いでいる。 もしかしたら、自分の元の主人が死んだことを知っているのかもしれない。そして、自分が後を追う時を、待っているのかもしれない。 それとも、やっと自分が囚われていることに気付いたのか。 死にたがっているような、小さな命。 (馬鹿ね。気付かなきゃ良かったのよ。そうすれば、何も知らずにただ生きて、何にも疵付かずに死ねたのに) 突然、得体の知れない不安が押し寄せて来た。 何だろう、この胸騒ぎは。 何か、何か見落としている。 でもそれは一体、何? 居ても立ってもいられなくなって思わず部屋を見回した時、ドアチャイムの音が鳴り響いた。全身が緊張する。 咄嗟に動けないでいると、 「志保、居る?」 聞き慣れた、優しい声。私は一気に安堵して、鍵を開けた。 「お姉ちゃん、来てくれたの」 「この間はゆっくりできなかったからね」 姉だってそんなにヒマではないはずなのに、出来るだけ早く、と無理をしてくれたのだろう。いつも、私のことを気に掛けてくれる。 たったひとりの大切な人。 「あら、あなた金魚なんか飼ってるの?」 暫く話し込んだ後、ふと姉が棚に目をやって言った。私が生き物なんて飼っていることが、よほど意外だったと見える。 興味深そうに鉢の中を覗き込んだが、 「ちょっと!この子……死んじゃってるわよ!」 驚いて見ると、確かに金魚が朱い腹を見せて浮かんでいた。 さっきまで泳いでいたのに、ほんの1、2時間の間に死んでしまったのだ。 なんてあっけないのだろう。 「……志保?」 「これね、クラスの男の子に貰ったの」 「え……」 「変な奴でね、何故かあたしと組織のこと、知ってた。そして殺されたわ。馬鹿よね」 どうしてこんな話、してるのだろう。自分でもよく判らない。ただ、話さずにはいられなかったのだ。 話はそこで終わると思った。しかし……。 「志保、よく聞いて。その子はね、元々組織に居た子なの」 「え?」 「身よりもなくてずっと組織の施設に居たんだけど、ある日、突然姿をくらましたんですって。でも、あんな子供が逃げ切れるはずもなくて……」 「ちょ……お姉ちゃ……」 「案の定見つかって、さぁどう始末しようという時に、あんな風に組織のことを口外したから……」 「ちょっと待って……!」 「遅かれ早かれ殺されてたわ」 姉は一気に喋ると、真剣な眼で私を見据えた。 見透かすような、悲しげな瞳。 「だから、あなたのせいなんかじゃないのよ、志保」 そんな眼で、見ないで。 私の中で保ってきたものが、壊れてしまう。 見落としていたものが、浮き彫りになる。 「な……によ、それ……あたしは別に……」 「志保……!」 「止めて!」 苦しい。何かが咽喉に詰まっている。息が出来ない。壊れる。 「あたしのこと、可哀相だと思ってるの?だったら……だったらそんなの……」 「いいえ、違うわ」 「じゃあ……」 「志保」 もう限界だ。 「志保、あなたは子供なのよ。泣いてもいいの……!」 突然、彼の言った言葉が頭の中に響いた。 『宮野さんが気付けばいいと思ったんだ』 気付く。 それは「金魚に」ではなく「彼に」でもなく、「自分自身に」。 『気付いて欲しかっただけ』 囚われているのは私の方。 私が冷めた心で見ていた金魚は、あの死にたかった魚は、あれは私。 囚われていることに気付かないふりをして、苦しいのに、張り裂けそうなのに。 『宮野さんのこと、知ってる』 涙があふれる。 見ていたんだ、彼は。 ずっと見ていてくれた。 私は知りもせず、目を瞑るばかりで。 金魚の意味にも気付かなかった。 「志保、実はね……私、彼と一度話したことがあるの。もう何年も前だけど……きっと施設であなたのこと見たのね」 彼はきっと、知っていたのだ。 自分がもうすぐ死ぬことを。 そして、最後の時間を掛けてまで、私に気付かせてくれた。 気付かなければ、良かった? そうすれば、何にも疵付けられず、生きられた? 違う、そうじゃない。 気付かなければ、私は永遠に、生きながらにして死んでいただろう。 狭い鉢に囚われた、死にたい魚のように。 「あの子、私にあなたの名前、聞いたのよ」 金魚は死んでしまった。 彼も。 私を生かして。 涙と一緒に、今までつかえていたものが流れていく。 子供みたいに声をあげて泣きじゃくる私を、姉はいつまでも抱き締めていてくれた。 . |