.   

 コーヒーの匂いが鼻をくすぐる。
 静まり返った部屋。
 さっきから探しているのに、テレビのリモコンが見当たらない。

「……帰らないの?」
「……帰るよ」

 コナンの置いたカップの音が、やけに大きく響き渡る。何となく気まずくて、哀は窓の方を見た。今日は星が出ていない。壮大なる宇宙の歴史も、何億年の星の輝きも、すべてあの黒い壁の向こうに閉ざされている。

「あなた、さっきからそればっかりで、ちっとも帰らないじゃない」
「……何だよ、居たら邪魔なのかよ」
「そんな事、無いけど……」

 一体彼は何を考えているのだろう。哀にはさっぱり判らなかった。半分、無理矢理に上がり込んだまま、もう4時間は経過している。今日は博士は発明家仲間と外泊で帰らないとも教えたのだが、コナンは「あ、そう」と言ったきりだった。

「顔も見たくないんじゃ、無かったのかしら」

 コナンは何も言わない。

「嫌われたものよね、あたしも」
「好きだよ」

 一瞬、その言葉の意味が判らなくて。
 振り返りそうになって、止めた。彼がこっちを見ている。
 暗い窓ガラスに映った、コナンの姿。

「好きだ」

 もう一度、繰り返す。まるで何かを確認するみたいに。

「何……言ってるの……嫌がらせ……?あたしが……憎いから……」
「灰原……」
「止めて!」

 ほとんど叫ぶような声で、哀が遮った。

「止めて……何よそれ……こんなの……いい加減よ……酷い……」
「判ってる、でもオレはおまえが……」
「あたしは好きじゃないわ!!」

 どうして?どうしてこんな事を……。判ってない。ちっとも判ってなんかないわよ。馬鹿にしないでよ。もう何も言わないで……。
 頭の中に自分の声が溢れる。出口を求めてる。けれど、声に出すわけにはいかない。出せない。哀はやっとこれだけ言った。

「好きじゃないわよ、あなたなんか」

 そのまま表へ飛び出す。ほとんど衝動的に。

 好きじゃないわよ、あなたなんか。

 胸が張り裂けそうだった。精一杯の嘘。どうせもともと嘘吐きだ。これ以上堕ちようもない。
 本当のことなんて、言ったことがなかった。
 本当の気持ちはいつも、瞳の奥に隠して、黙っていたから。
 言えるわけがなかった。
 疵付けたくはなかったし、疵付きたくもなかった。これ以上。
 このままここに居るのも厭だった。
 ずっとこのままで居られるかもしれないと思ってしまうことが。
 怖かった。
 逃げたかった。
 ここから。
 本当は居場所なんて無かった。
 ずっと求めてた。
 彼の胸の中に。
 だけどもう、終わりだ。
 雨に濡れて、この熱も冷めればいい。

≫NEXT