哀が外へ飛び出しても、コナンは暫らくその場を動けずにいた。
ちくしょう。なんだっていうんだ。
追うべきか、追わざるべきか。
そんなことは判りきっているはずなのに行動に出られない自分がもどかしくて、コナンは舌打ちをした。
そもそもなんでオレは、ここに来たんだ。
愛の告白をする為か?
まさか。
気が付いたら、ここへ足が向いてた。
何か、何か伝えたくて。
伝えなきゃいけないことがあって。
でも結局、言えてないじゃないか。
好きだとか、自分勝手だとか、そんなことは今更言うべきことじゃなかっただろう。
言いたかったのは。
言わなければならないのは。
『誰の所為だと思ってやがる!』
……どうかしていたんだ。
イライラしてた。そう、イライラしてしまって。
こんなことは、言い訳にもならない。
疵付けてしまった。
言ってはいけなかった。
おまえは、もう充分過ぎるほど、疵付いていたのに。
オレはそれを、よく知っていたのに。
『あたしの、所為』
はっきりとそう言った。
いつもと同じ、張り詰めた糸みたいな声で。
それが余計に気に障って、オレはおまえを睨んだけど。
だけど、それで何も言えなくなった。
おまえは、ひどくかなしそうな顔をしていた。
泣きそうな顔をしていた。
泣きたいのを堪えているみたいだった。
そんな顔、初めて見た。
人は、誰かの所為にしなきゃ居られないことがある。
そう、あの時のおまえみたいに。
おまえはオレの所為にした。
オレはおまえの所為にした。
お互い、それは違うと判っていながら。
自分の安息の為に。
束の間の、偽りの安息。
これは、自分ではどうしようもなかったのだと、言い聞かせて。
でも、違う。
そんなことじゃ、何も変わらない。
見つけてやらなきゃ。
おまえを。
いつもひとりで息を潜めてる、おまえを。
見つけられるのは、オレしかいないだろ?
雨が、身体を濡らす。
傘を忘れてしまったわ、と哀は口の中で呟いた。冷たくなれば、心まで冷えきるかもしれないと思ったが、暫らくしてそれは間違いだったと気付く。もともと、私の心なんて冷たいのだ。それが熱を持ってしまったことがいけなかったのだ。哀は思う。素直になれたら、どうにかなったのだろうか。
私は常に馬鹿だった。
失いたくないと思った人を、繋ぎとめておく事ができない。
私から離れていってしまうということは予感できても、それを引き止める術を持っていない。
昔から。そして今も。
素直に言えなくて、ただ自分から距離を深めて。
彼の罵りが許せないのではなく、彼にそんな言葉を吐かせた自分が許せなくて、ほんの短い言葉すら、伝える事ができない。
伝えたい事があった。たくさんあった。言いたかった。
心はいつも冷たくて、それは仕方の無い事だったのだと。
いつもひとりぼっちだったのだと。
こんな場所で、ひとりで、ずっと心細かったのだと。
真っ直ぐに私を理解してくれたのは、あなただけだったのだと。
本当は、離れたくなんてないのだと。
行くあてもなく歩いて、いつのまにか哀は「近道」にいた。
あの日と同じ、雨の降る細い道。
弱々しく輝く街灯がひとつ、かろうじて辺りを闇ではなくしていた。
水たまりを足元に、ふと立ち止まる。
「灰原」
声がした。
その声に驚いたような気もしたし、呼ばれることを知っていたような気もした。
「……どこ……行くんだよ……」
白い傘を手に持っているというのに、コナンは雨に濡れながら立っていた。肩で息をしている。
どうして、と哀は思った。
どうして、居場所が判ったのだろう。
いつだって彼は探してくれた。
そうだ。いつだって。
私の姿が見えなくなった時はいつだって。
「さぁね」
何か、言いたそうな瞳。
「……何?」
問いかけてみても、答えはない。
代わりに、コナンは傘を差し出した。
哀は小さく溜息をつくと、それを受け取るべく手を伸ばす。
その時。
その時だった。コナンが哀を抱き締めたのは。傘が。白い傘が手から落ちる。あの時のように。
落ちた。あの日と同じように。違うのは、傘の色。抱き締められている身体。
「どこ行くんだよ……」
眩暈がする。
「なぁ、どこに行くんだ……」
その腕の力に。
「……どこにも行かないでくれ」
抑えられない、気持ちに。
「もう、どうしようもねぇよ……!」
これでいいのか、なんて判らなかった。
ただ、ずっとこのまま抱き締められていたかった。
抱き締めて欲しいと思っていた、ずっと。
「ばか、ね」
彼のぬくもりを知りたかった。
「行くとこなんて、無いじゃない」
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