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...................................................................................................................夢のひとつ ー前編ー

 
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「たーまやー!!」

 随分と古めかしい、いや、風流な掛け声が、花火と一緒に夜空にはじける。
 円状に開いた二色の花びらは一瞬で散り、最後の瞬きを落としてぱらぱらと音を立てた。

「何です魎呼さん。急にはしたない声をお出しになって……丸いものを見たからって、変身でもなさるおつもり?」
「あたしゃ狼男か!」
「あーら、ごめんあそばせ。あなたは狼男じゃなくって、ミイラの化け物でしたわね」

 耳慣れない言葉へのちょっとした不信感でさえ、何重にも皮肉を重ねて訴えるのが阿重霞流。
 もちろん、相手の出方を予想した上でからかっているだけなのだが、酒が入っていると、今のように多少度が過ぎることもある。
 要するに絡み酒なわけで、そうなるとほろ酔い気分の魎呼だって、当然黙っているはずがない。
 まだ半分ほど残っているビールの缶を、構わず振り回しながら応戦した。

「てめぇ。あんまりいい気になってると、恥かいても知らないぞ?」
「何ですって?」
「フフン。お姫様はご存じないようだから教えてやるよ。“たまや”って叫ぶのはな、地球で花火を見る時のマナーなんだぜ」
「はっ。またそんなデタラメを……」
「デタラメなもんか。天地が教えてくれたんだ〜」
「ほ、本当ですの天地様?」
「ああ。地球じゃなくて、日本の昔の風習だけどね」

 砂沙美と美星が屋台めぐりに行って不在の今、もはやお約束と化した二人の口論を止められる者など、いるはずがない。
 鷲羽は端から無関心だし、間違っても天地がなだめに入ったりしたら、火に油なのは目に見えていた。
 というわけで天地にできることといえば、努めて冷静に返事をして、これ以上話をこじれさせないよう配慮するくらいなのである。

「んっふ。天地はあたしだけに、こっそり教えてくれたんだぜぇ。な、そうだよな天地ィ」
「いや別にこっそりってわけじゃ……ていうか、江戸時代の話だぞ」
「江戸時代?何それ?」

 しかし、そんな密かな努力も、素できょとんとしている魎呼の屈託ない顔の前では、無に等しかった。
 そうは言っても、魎呼が江戸時代を知らないのは無理もない。
 こんな辺境の星にある小さな島国の、たかだか数百年前の話など、何千年と銀河を飛び回っていた彼女が知る由もないだろう。
 桁外れの教育を受けてきた阿重霞でさえ、そんなちっぽけな情報は教わっていないに違いない。
 つまりは、この言い訳を使った天地の選択は、失敗だったというわけだ。

「そんなあ、天地様ぁ……魎呼さんだけ特別扱いだなんて。阿重霞にも地球のしきたりを教えて下さいまし」
「えっ!?えーとじゃあ……あ、“たまや”に対する掛け声は確か“かぎや”って言うんじゃなかったかな」
「“かぎや”ですわね!判りましたわ!」
「あん天地ィ。阿重霞なんか構うこたねんだよォ」
「阿重霞なんかとは何よ、なんかとは!大体、マナーだなんて言ってましたけど、ただの古い習わしじゃないの」
「似たよーなもんだろ?いちいち細かいねぇ。口うるさい嫁かず後家みたいな奴だな」
「あなたのような知ったかぶりに、とやかく言われる筋合いはございませんことよ!」
「因みにぃ」

 ここで、ようやく助け舟。
 いい加減耳障りだったのか、それともただの気まぐれか、ついに鷲羽が口を挟んできた。
 お馴染みの講義口調で、鷲羽先生のありがたいお話の始まりだ。

「たまや、かぎやというのは花火師の屋号で、もともと鍵屋という店から暖簾分けしたのが玉屋」
「まーたいつもの、うんちく講座か」

 すかさず茶々が入る。が、しかしそんなもの、鷲羽は蚊ほどにも感じていない。
 うっかり魎呼の方が落ち込みそうになるくらい完璧な無視をかまして、先を続けた。

「この二店は互いをライバル視していたから、自分の店の花火が上がるたびに屋号を叫んでアピールしたってわけ」
「なるほど。その名残として、掛け声だけが現在も残っているということですのね」
「へー、よく知ってるね。鷲羽ちゃん」
「ここに来てどれくらい経ったと思ってんの?この程度のデータベースはインプット済みさ」

 当然のようにのたまうが、こんな細かいことまで知り尽くしているのだから、さすがと言うべきである。
 更にすごいのは、その言い方に一点の曇りもないことだ。威張ったり、鼻に掛けたりする様子はまったく感じられない。
 妙技の域に達するような記憶力も、鷲羽にとってはごく自然な海馬の情報処理にすぎないということを、それは如実に現していた。
 ただ、そんな類稀なる頭脳も、ここにいると口喧嘩の仲裁に使われてしまうわけだが。
 歴史の勉強にひぃひぃ言っていた頃の自分を思い出して、天地が苦笑いを浮かべた時、細く尾を引く音が天に昇った。

「たぁーまやぁーっ」
「かっ、かーぎやー!」

 その刹那、真昼のように辺りを照らし出す閃光。さっきより何倍も大きな花火だ。
 待ってましたとばかり叫ぶ魎呼に、負けじと声を張る阿重霞。鷲羽も教授モードから一転し、一緒になって歓声を上げた。
 きらきらと煌めく光の粒が、枝垂れ柳のように流れ落ちていく、そんな幻想的な光景。
 その美しさに誰もが一瞬言葉を失うが、そんな沈黙は許さぬとでも言いたいのか、祭りの花火は次から次へと打ち上げられた。
 それはまるで、賑やかにこの祭事を祝ってくれと催促するかのようで、観衆の誰からともなく拍手が起こる。
 光と音と炎が織り成す見事なまでの連弾に、講義を中断されたことなどとっくに忘れた鷲羽が、満足げに唸った。

「いいねぇ、この子宮に響く振動と音!夜空に輝く原始の煌めき!野性的で好きだわぁ」

 その開けっぴろげなコメントに、思わずのけぞったのは阿重霞だ。

「鷲羽様……せめてもう少しロマンティックな感想を……」
「何言ってんだい。このリズムをよく聴きな」
「はぁ……?」
「どんな知能を得た人間だって所詮は動物……。来永劫繰り返されていく、生命の営みを感じるでしょ」
「いえ、あの……でしょ、と言われましても」
「それを若い男女が暗がりで聴くとなりゃ、この上なくロマンティックじゃないの。ねぇ天地殿?」
「はっ?えぇっと……」
「ああ、果敢無く燃え尽きる命のような一瞬の輝き。絡み合う二人の肢体が、その瞬間だけ夜の闇に浮かび上がって……」

 判るような判らないような……と考えているうちに、話はあらぬ方向へ。
 返す言葉が見付からずに口をぱくぱくさせている天地のことは、完全に放置だ。
 自分で振っといてその扱いはないだろうと思うが、わざと暴走して周囲を煙に巻くのが鷲羽の得意技である。
 とはいえ、それを楽しんでいる節がありありなので、「喧嘩の仲裁」なんて言葉はもはや建前以外の何ものにもならなかった。

「すぐにまた暗闇を取り戻した二人は、いっそうその身を燃え上がらせるのよ。うふうふ〜」
「うおおっ。何かいい感じじゃんソレ!」
「でしょお?」
「やっぱ花火はいいよなー。本能がびりびり刺激されるぜ」
「さすが魎呼ちゃん!話が判るわあ」

 普段なら、母と書いて天敵と読んでいるような魎呼と、娘と書いて玩具と読んでいるような鷲羽だが、こういう時だけは意気投合する。
 血は争えないと言うか何と言うか。これでは、阿重霞との口喧嘩の方が、まだましだったかもしれない。
 親子の間で交わされているとは到底思えない会話に、阿重霞は真っ赤になって俯き、天地は聞こえないふりを決め込んだ。

「お、来た来たっ。たぁーまやー!」

 花火――……放っておけばいつまででも続いていそうな遣り取りに水を挿すものは、やはりその大輪だった。
 連続して放たれた玉の、我先にと上を目指す音が、祭りの終わりを示唆している。
 色とりどりに咲き乱れる花、それ以外の何も見えない。
 一帯を包み込む低い開発音、それ以外の何も聴こえない。
 そこに居るすべての人間が同じ景色の中に溶け込んでいるのに、鷲羽だけは違った。
 花火も雲も突き抜けた遥か上空、その空さえも越えた先にある宇宙。
 無限のようなその空間で、生まれては死んでいく星の輝き。
 そんなものに、想いを馳せた。
 けれど、どこか寂しげにも見える彼女の横顔に、気付く者など誰もいない。
 当然だろう。2万年という時を推し量るなんて、そう簡単にできることではない。
 それほど遠く長い時間を、鷲羽は、生きてきたのだ。

「……綺麗ね」

 思わず口を突いて出た呟きも、フィナーレの喧騒に掻き消えた。

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 時は、1万年ほど遡る。

 樹雷と世二我、それまではっきりと分断されていた勢力が、徐々にその体制を崩し始めた頃。
 繰り返される融合と反発。今まさに変わろうとする瞬間の世界で、我が世の春とばかりにその名を知らしめる人物がいた。
 アカデミー始まって以来の天才哲学士・白眉鷲羽。もともと、その界隈での有名人である。
 彼女の名前を聞いた誰もが、史上の功績から真偽不明の伝説に至るまで、鷲羽に関する逸話を4つか5つは挙げられるというほどだ。
 しかしそれは、あくまでもアカデミーとその周辺に限った話。ひとたび銀河の主要地域を離れれば、知らない者の方が圧倒的に多い。
 名前くらいは噂で聞いても、姿まで思い浮かべられる者はごく僅かだった。
 それが現在、アカデミックドレスに身を包んだ鷲羽がニュースに映らない日はなく、まるっきり時の人扱いで世間を騒がせている。
 一体なぜ、そんなことになったのか――それを説明するのは簡単だ。
 この混沌とした時世の中、少し前に「樹雷最大の頭脳、皇立アカデミーが独立する」という情報が発表された。
 そして、彼女こそが、その舞台の中心で動く重要人物だからである。

『止めてよ。私は私がやりたいようにやっているだけ……言わば、エゴみたいなものね。褒められたものじゃないわ』

 そうは言っても、飛び抜けた頭脳と行動力に加え、印象的な容姿まで兼ね備えている彼女を、周りが放っておくはずもない。
 帽子から見え隠れする真っ赤な髪。翠に濡れた瞳は、まるで幾多の星の光を集めたかのような輝きを灯している。
 その目を瞬かせながら、取材に応える語り口の聡明にして快活な響き。そこから生まれる自由闊達な気風。
 これだけでも充分大衆を魅了できるのに、それらを10代も半ばに満たない年格好の少女が持っているとなれば、話題になるのは当然だ。
 もちろん、その姿が超能力によるものだということは周知の事実だったが、それすら装飾品のように扱うのがマスコミである。
 鷲羽が心底困ったように否定を訴えても、彼らは余計に喜んで「美しく謙虚な哲学者」を仕立て上げるだけだった。
 一事が万事のそんな調子に、さすがの鷲羽も辟易していたある日。
 ついに彼女の中で、何かの弦が一本切れてしまった。
 毒も薬も一緒くたに発言しては、彼らを引っ掻き回すようになったのだ。
 それまで鷲羽のカリスマ性ばかりを取り上げていた彼らだったが、こうなると、自分達に都合のいい偶像を描くのは難しい。
 そして、最終的にはありのままを伝えるしか術がなくなったマスコミは、鷲羽の思惑通り、彼女の手玉に取られることとなる。
 ただ、その結果、鷲羽を紹介する時には必ず「変わり者」という枕詞が付くようになったが、本人は満足そうに頷くだけだった。
 今となってはジョークにしか聞こえないが、元来鷲羽は、自ら進んで目立とうとするようなタイプではない。
 しかし、最年少入学記録を破ってアカデミーの門をくぐったのが運の尽き。いや、むしろ始まりと言うべきか。
 ともかく、そのせいで鷲羽は、当時学内一目立っていた変人女学生に目を付けられた。
 更に何をうっかりしていたのか、鷲羽はこの女学生と仲良くなってしまったのだ。
 それからというもの、この二人の悪友関係はもう1万年近くも続いている。
 彼女の影響を存分に受けまくった鷲羽に対する形容詞には、いつしか「天才」「美人」と並んで「変人」が加わっていた。
 というわけで、今更マスコミ如きに変人呼ばわりされたところで、鷲羽にとっては名字を呼ばれるのとさほど変わらぬ感覚なのである。

『楽しいことはね、皆で分け合うから素敵なの。独り占めなんて、馬鹿のやることよ』

 アカデミー独立に関するインタビューでの、鷲羽の言葉だ。
 あっけらかんと言い放たれたその一言に、それまで混乱と不安に揺らいでいた社会は、一気に祭りの前日のようなムードへと変わる。
 そういう周囲への影響力を、鷲羽は意識せずとも持っていた。
 普通なら四面楚歌になりそうなこの状況下でも、彼女の周りには常に信頼に満ちた眼差しがあるのだ。

「それで、ここまで来てしまうんだから。大したものだな、本当に」

 今もワイドショーでは、時の先駆者・白眉鷲羽のVTRがダイジェストされている。
 いよいよ銀河統一の時代到来かと浮き足立つその様を、少々複雑な思いで見ている者がここにいた。
 世ニ我の最高評議会議長、九羅密美釀。
 その座を息子の美雲にあけ渡すというめでたき日を目前にして、美釀は軽い溜め息を吐いた。
 何しろ、現場には色んな問題が山積みで、とてもじゃないが手放しで喜べるシチュエーションではないのだ。
 とはいえ、世間にはこれくらい明るい話題として認識されていた方が、変に危惧感を煽って暴動化するよりはいいだろう。
 権力に近くなればなるほど、二つの勢力が統合されようとするこの動きに反発する者は多くなる。
 彼らが民衆を抱き込む前に、先行してプラスのイメージを植え付けておくことが必須であるのは想像に易い。
 もっとも、当の首謀者はそんな思惑など二の次で、どんちゃん騒ぎにも似たこの状況を、単に楽しんでいるだけなのかもしれないが。
 いや、“かもしれない”じゃない。きっとその通りなのだ。
 だからこそ、ともすれば猜疑に変わってしまう民の心を、いとも容易く掴むことができたのだろう。
 毎日のようにメディアで見掛けるその笑顔に、美釀の頬も知らず知らずのうちに緩んでいた。

「……何かいいことでもあったんですか?」

 そう言って声を掛けてきたのは、美釀の補佐役の男である。
 大地の色をした肌に、麦の穂のような金髪。顔立ちこそ違うが、美釀と同じ流れの血を持っていることは、一目瞭然だ。
 美釀が世ニ我に戻った時――。
 待っていたのは、その帰りを快く迎える者ばかりではなかった。
 しかし、そんな内心を表に出すような者は、九羅密にはまずいない。
 微塵の敵意も嫌悪も感じさせないよう、完璧に取り繕う術を叩き込まれているからだ。
 その時も、相手が美釀であるから感付いただけで、九羅蜜以外の者であれば、安心してその見せ掛けの歓迎を受け入れることだろう。
 そんな中で、不信感も露わに睨んでくる一人の男がいた。それが今、美釀の後ろで笑っている彼だ。
 彼は、自分が九羅蜜の人間であることに誇りを持っていたし、国を愛していた。
 少しばかり素直すぎる性格のため、配置は末端だったが、その代わり上流階級にありがちな心の歪みなどは一切ない男だった。
 権力に翻弄されて疲弊していた美釀は、彼のその真っ直ぐな気性を気に入ったのだ。
 その誠実さゆえに少々血の気が多いところもあったが、彼もまた、美釀の人柄に触れることで心を開いていった。
 歳が近かったことも手伝って、二人が心を通わせるまでに、それほど多くの時間は必要としなかったのである。

「失礼致しました。楽しそうに笑ってらっしゃったものですから」
「いいことなら、目の前にあるさ。父親の後を息子が継いでくれるという、最高のイベントがね」
「間違いありませんな」

 以来ずっと、彼は美釀の右腕となって働いてきた。
 表向きの上下関係は変わらないが、そんなものはとうに越えた信頼と友情で、両者は結ばれていたのだ。
 その証拠に今も、国家の最高権力者が乗っているにも関わらず、この船には美釀と補佐役のたった二人しかいない。
 そんな状態で、先ほどまで樹雷の領域にいたと言えば、たいていの者はなんて手薄な警備かと驚くだろう。
 しかし、裏を返せば、それが今回の忍びでの訪問を完遂するための作戦でもあった。
 この船は復路走行中の貨物船を装っている。つまり、不自然に多くの生命体反応を捉えられたら、逆に怪しまれるのだ。
 もちろん、この船自体そこらの海賊では太刀打ちできないほどの戦力を持っているし、美釀も彼の補佐役も腕には覚えがある。
 だからこそ、少々大胆な策にも出られるというものだろう。

『あと2分で通常空間に復帰します』

 船のユニットが事務的に告げる。もう間もなく、世ニ我に帰還するのだ。
 戻れば正式に、書記長の役を美雲に譲渡する儀式が執り行われる。
 今までも、事実上の政権はほとんど美雲にあるようなものだった。
 こんな情勢なので、樹雷とのすり合わせなど通常より幾分手間が掛かってしまったが、ようやく一段落がついたのである。
 特に大きな問題が起こることもなく無事に事が運んで何よりだと、美釀は胸を撫で下ろしたのだが、

『ルート上に障害物を確認。直ちに対処して下さい』

 突然、エマージェンシーが鳴り響いた。
 緊急の信号がせわしなく点滅する中、不気味なくらい落ち着いた合成音声は、淡々と事態を報告する。

「何だ?プログラムバグか!?」
「まさかそんな……、美釀様!あれを!」

 興奮した様子で補佐役が指差した先には、思わず息をのむような光景が広がっていた。
 可視光線の赤と青、そのスペクトルの間にある様々な色。それらが微妙に混ざり合って、輝いている。
 ガスと宇宙塵で出来た天体が、目前に見えているのだ。

「どうやら、ただの星雲のようです。多少揺れますが、このまま突っ切っても問題ないでしょう」

 安堵混じりにそう言ったが、美釀の中にはまだ不穏なものがくすぶっていた。
 ただの星雲。本当にそうだろうか。モニターからほとんど目を逸らさないまま、コンピュータを操作する。
 そこに展開される答えが、この胸騒ぎを消してくれることを望みながら。
 その間にも、船と星雲との距離はどんどんと縮まっていく。
 肉眼では遠くに見えるが、実際は到達するまでそんなに多くの時間は掛からないだろう。
 きらきらと宇宙空間に花開く星々。まるで、最期の時を彩る花火のよう。
 滅亡と誕生。幾度となく繰り返す再生。そのプロセスを見届けることを、生きとし生ける者のすべてに課しているかのようだった。

「……なんてことだ!」

 答えは、無情なほど正確に、美釀の不安を現実のものと裏付ける。
 空間に焼き付いた放射光。不安定なアイソトープの崩壊。超新星残骸。
 あんな高温ガスの中に入り込んでしまったら、とてもじゃないが船も身体も持たないだろう。
 状況を把握するや否や、美釀はほとんど怒鳴るように補佐役に命じた。

「すぐに亜空間ドライブに戻し……いや!それじゃ間に合わない!今すぐ航路変更を……何を笑っている?」
「だって可笑しいじゃないですか。あれが超新星残骸だってことくらい、少し見れば判ることでしょう」

 けれど、それに従うものは既にこの場にはいなかった。
 いるのは、不気味な笑みを貼り付けた男が、一人。
 かつてであれば、命すらあずけ合えたはずのその顔が、何故か見知らぬ他人のように見えた。

「あなたともあろう人が……一線を退くとなると、やはり気が緩むんでしょうかね」
「何を言っているんだ……」
「そんなだから、樹雷にも漬け込まれるんですよ」
「!」

 答えはいつだって無情なほど正確だ。
 反応があれば、そこには必ず作用がある。
 そして反応があるということは、既に結果が出ているということなのだ。
 覆すことの出来ない、事実として。

「正気か。自分が何をしているか、判っているのか?」
「さぁ、どうでしょう。でも、これだけは言えますよ。判っていらっしゃらないのは貴方の方だ」

 作用因は、きっと些細なことだった。
 たった数人の人間が、同じ悲しみを味わっただけのこと。
 けれど今この瞬間までのすべては、その始まりの先に続いてきたものなのだ。
 この男との出逢いも、然り。そして、世ニ我と樹雷が一つの大きな川となることも。
 すべては同じものに起因し、同じ線上にあるのだ。
 だから、何も悔やむことなんて、できない。

「貴方に仕えて1万年……私がどんな想いで今日という日を迎えたのか、貴方は知る由もないでしょう」

 大切なものを、見落としてしまう。もう誰も裏切りたくはないのに。
 権力に近くなればなるほど、二つの勢力が統合されようとすることに反発する者は多くなる。
 そんなこと、充分すぎるくらい承知していたはずだったのに。

「さようなら、美釀様」

 男の瞳は憎しみに満ちているのに、見つめられると、とてつもなく悲しかった。
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