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...................................................................................................................夢のひとつ ー後編ー

 
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 さようなら、美釀様。
 その言葉と残像の破片を残して、男の姿は消えた。

(ホログラムだったのか……!?本体は……!?)

 急いで船内をスキャンするが、自分以外の生命体反応はない。
 代わりに、船の外に不審な信号を捉える。
 貨物に偽装して紛れ込ませてあった、彼の船だ。

「!待て……っ」

 美釀がモニターに向かって叫ぶのと同時に、シグナルが途絶えた。
 超新星残骸のガスの中に突っ込んだのだ。どうなるかは、明白だった。

「くそっ!」

 苛立ちに委せて、拳をレーダーに打ち付ける。
 しかし、己の無力さを嘆いている暇はない。
 何とかしてこの船を、現在の軌道からずらさなくてはならないのだ。
 胸を掻き毟りたくなるような衝動を押し殺し、美釀はすぐさまプログラムの修正に取り掛かった。
 航路変更自体はそう難しいことではないが、いかんせん時間がなさすぎる。
 ひとたびガスの中に入れば、何分、いや、何十秒とも耐えられないかもしれない。
 けれど冷静になろうとすればするほど、リミットはその輪郭をはっきりと現し、美釀から絶望感に打ち勝つ術を奪ってゆくのだった。

「駄目だ……」

 美釀の指が止まりかけた、その時。

(!?)

 記号達が息を吹き返したように踊り始め、みるみるうちに美しいプログラムへとその姿を変える。
 その動きの鮮やかなことと言ったら、例えようもないほど緻密で、機敏で、生々しかった。
 突然現れたプログラムは、意志を持っているとしか思えない仕事ぶりで、あっという間に船の航路を書き換えてしまったのだ。
 そして最後には、呆気に取られている美釀をからかうように、くすくすと悪戯な笑い声まで立てた。

「やれやれ。相変わらず、運がいいんだか悪いんだか判らない人ね」

 プログラムが、喋った。
 正確には、そのプログラムを生み出した親である人物が喋った。
 気が付けば、音声通信の回路と超新星残骸の映像だけを残し、すべての外部情報及び通信手段が遮断されている。
 大したハッキング技術だ。船のあらゆるシステムが、今やこの声の主に支配されていた。
 けれど、先ほどの大胆なアクションから考えると、その声は意外なくらい幼く、可愛らしい。
 それこそ、成長して知恵をつけた少女が、ませた態度で大人を困らせているような口ぶりだ。
 実際は、この声の向こうにいる彼女は少女なんかではない。
 力だって、そんな微笑ましいものではなく、少し使い方を間違えれば脅威にさえなり得る。
 ただ、彼女が本当に20歳そこらだった頃、年齢に釣り合わない能力を持て余しては、徒にその力を遊ばせている節が時折見られた。
 そしてそんな時は、そういう自分を悟られまいと、決まっておどけてみせるのだ。
 それが彼女なりの甘え方でもあった。
 昔から、そうだった。

「君は……」
「久しぶりだね。確率の定数の謎は、そろそろ解けたのかしら」

 さっきよりやや低く落とした声が、わざと生意気ぶったセリフを塗りつぶす。
 声の質は子供のものだが、その中に色濃く浮び上がるのは、一人の女性の様々な想いだった。

「驚いたわ。たまたま拾った緊急信号が、まさかあなたの船だったなんて」
「はは……助かったよ。一時はどうなるかと思った。今回は、偶然の才能に感謝だな」
「ちょっと、あたしへの感謝も忘れないでよ」

 何もかもが、懐かしい。
 機械を通した音声だけなのに、まるで姿までそこに見えるような。
 それは、1万年前と変わらない。誰のものでもないこの腕で、確かに抱きしめていた彼女を、蜃気楼のように映し出していた。

「……ごめんなさい」

 不意に、想像の中の鷲羽が、表情を歪める。

「何故?助けられなかった一隻のことを言っているのか?」
「それもあるけど。どうしてあなたがこんなことになっているのか、詳細は判らない……でも、きっと私のせいだろうから」

 ああ、やっぱりそうだ。
 美釀は、憧憬にも似た思いで、目の前の幻を愛おしく見つめた。
 この世のすべてに解を見出だしているかのような、鷲羽の生き方。
 けれどその内側では、他人と何等変わらぬ矛盾を抱え、必死に戦っていた。
 その聡明さゆえに限界を知って、それでもなお足掻き続けてきた。
 それの何が悪いというのか。誰がそれを責められる?

「君が謝ることじゃない。こういう問題は、いつだって付き纏うものさ」
「そうね。あなたなら、そう言うだろうと思ってた。でも、一応謝っておいた方が、得かな〜と思って」
「……君らしいよ、まったく」

 戯れのような会話が昔のままで、一瞬、時なんてものはただの概念に過ぎず、本当は存在すらしていないんじゃないかと思ってしまう。
 でも、この世界は概念で成り立っているようなもの。
 数え切れないほどたくさんの器の中で、時間と名付けた切ないものに、従いながらやり過ごすほかはない。
 その証拠に、真実がどうであれ、鷲羽も美釀もこの儘ならない1万年を同じように数えることができる。

「あーあ。何年生きても、人生、上手く行かないもんだなぁ」

 今なお道中波乱に満ちている彼女がこぼすには、もっともすぎる愚痴だ。
 だが、端から見れば自由気ままに人生を謳歌しているような鷲羽の口から、そんな言葉が出たのがおかしくて、美釀はついつい笑った。
 釣られて、鷲羽も噴き出す。自分で言って、あまりの似合わなさに気が付いたのだ。
 本当のところ、思い通りにならないことだらけだけれど、卑屈になるのは自分らしくない。
 そう感じるのが自分だけでないということを知っただけで、この先もずっと、強くいられるような気がした。

「……あら?」

 穏やかな空気も束の間、鷲羽の声が曇る。
 少し遅れて、美釀も異変を感じ取っていた。船の針路が妙だ。プログラムに沿っていない。

「どうしたんだ?」
「航路は変更したのに……引っ張られている!!」
「何だって!?」
「おかしいわ、充分な距離は取ったはず……、……!?なんてことなの……!」

 自らの果たした仕事を確認するように、途切れる言葉。
 次の瞬間、鷲羽は信じられないものを目の当たりにしていた。
 そしてそれを、そのまま口にする。
 
「中性子星があるんだわ……!!」

 超新星爆発を生き延びた、星の赤ん坊。
 その凄まじい引力に、船体は容赦なく元の軌道へと引きずり戻されていく。
 脱出するには、一体どれほどの速度を要するのか――考えただけで、望みは宇宙の塵と消えそうだ。
 緊迫する事態の中、どういうわけか美釀の内心は落ち着いていた。
 そして、抗う手立てを探すべくシミュレーションに没頭しているであろう鷲羽に告げた。

「君は逃げろ」

 向こう側で、鷲羽が目を見張ったのが判った。

「何ですって……?」
「君の船なら、この引力も何とか振り切れる……。私は……僕は行けない」
「………………」
「美雲への引き継ぎは、実質ほぼ終わった。心配ごとも、もうあまりない」

 鷲羽は黙っている。何かを思い出しているような、沈黙。
 それを察しながらも、美釀は続けた。

「何よりも、今、ここで君に逢えた。それでもう、充分だ」

 それは、心からの言葉だった。
 思い残すことがないわけじゃない。けれど、すべてをやり尽くして終える人生なんて、きっと有り得ない。
 様々な想いを後世に託しながら、期待を残しながら、途絶えることのない幸せを願うのだ。
 長く続いていく路の、ほんの一部にしか過ぎない自分。
 そんな限られた時間の中で、出逢うことを赦された人々。
 一体誰に赦されて、持ちきれないほどのものを持たされていくのか。
 判らないけれど、選択するのは紛れもなく自分自身だ。
 選べなかったものは、否応なくこの手を離れ、二度とは還らない。
 あの日、置き去りにした気持ちになら、責められても仕方ないと思っていた。

「……あたしが」
「!」

 けれど次の瞬間、その考えが独りよがりな言い訳であったことに気付く。
 不意にその姿を現した鷲羽が、刹那の煌きを背にして目の前にいた。
 船を隔てて聴いていた、鷲羽の声。先ほどまで幻として見ていたはずの、鷲羽の面影。
 それが今、美釀のすぐ傍に感じ取れる実在となって、立っている。

「あなたを置いて行けると、本気で思うの。庭瀬美釀君」

 わざと厳しい口調で呼ぶ、偽りの名。けれど、その中に美釀を咎める響きはない。
 むしろ、本当の名前以上に大切なもののように、愛おしく懐かしい。
 鷲羽は微笑んではいなかったが、それより優しい眼で美釀を見ていた。
 どんなに妖しく輝く星よりも、神秘を秘めた二つの瞳。
 真っ直ぐに見つめる仕草は昔と同じなのに、その視線が以前よりもだいぶ上目遣いに感じるのは、今の彼女の背丈のせいだろう。
 そして、鏡のようなその二つの眼に映る自分の姿も、いつの間にか随分と年を取っていた。

「!!」

 突然、船体が大きく揺れた。
 それが合図であったかのように、鷲羽は瞬時に美釀の腕を取る。
 その瞬間、量子レベルで転移を始める肉体。
 強制テレポートで、美釀ごと自分の船に戻るつもりなのだ。
 けれど、外部からの凄まじい圧力が影響し、思うように動けない。

 船は、高温のガスの中に堕ちてゆく。
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 眩い閃光に奪われる視界。

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白い世界。
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ホワイトアウト。
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何も見えない。
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何も聴こえない。
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掴まれていた手首だけが熱い。
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熱源を辿った、その先。
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そこにある存在と、故郷の雪の中に二人でいるような。
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そんな、的外れなことを、想っていた。
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――どのくらいの時間が経ったのだろう。

 気が付くと、そこは見知らぬ船の操縦室だった。
 朦朧とする意識のままに、半分ほど身体を起こす。不時着の際の衝撃によるものなのか、ひどく眩暈がした。
 もしかしなくとも、ここは、鷲羽の船の中だ。
 ふと見ると、傍らには寄り添うようにして倒れている鷲羽の姿があった。
 気を失っているが、その右手は、美釀の左手首をしっかりと握り締めている。
 その手をそっと取り、脈と呼吸を確かめる。どうやら、正常に機能しているようだ。
 目立った外傷も見当たらない。恐らく、急激に体力と精神力を消耗したせいで、眠っているのだろう。
 規則正しく上下する小さな胸に、改めてその身体の華奢なことを思い知らされた。
 アカデミーにいた頃は、どちらかと言えば長身とも見れる身長だった。
 それが今は、超能力を使い、ほんの子供にしか見えない容姿を保っている。
 度々メディアに露出している天才科学者・白眉鷲羽が、ここにいた。

(傍から見たら、親子か孫か……そんなところだろう)

 皺の刻まれた手で小さな鷲羽を抱えた時、不意に浮かんできた想い。
 それを冗談めかして、苦笑する。
 鷲羽を医療用のポットに寝かせると、再び操縦室に戻った美釀は、運転を手動に切り替えて船の位置を検索した。
 どうやらこの星は、超新星爆発によって壊滅した小惑星の一つであるらしい。無闇に外に出るのは危険だろう。
 幸い、鷲羽の船はエネルギー不足でスリープモードに入ってはいるが、システムに異常はない。
 救難信号に気付いた船が助けに来るまでは、充分持つ。
 まだエネルギーに余裕があると知った美釀は、モニターに外部の景色を映した。
 自分の船を探してみるが、見当たらない。やはり、ガスの中で消失してしまったようだ。
 命があっただけ儲けものだと思いながら、操縦席に腰掛ける。
 特定の子供の身体にぴったり沿うよう作られたオリジナルの椅子は、美釀にはかなり小さい。
 それなのに、包み込むような不思議な心地が、そこにはあった。

「……綺麗だな」

 遥か遠く映し出される、超新星残骸の映像。壮絶な星の最期の残り火。その中心にある、新しい命。
 死してなお、輝き続ける星の欠片を見て、美釀は思い出していた。
 幼い頃、遠い夜空に見た、花火。
 ほんの一時その身を燃やし、すぐに散り消えてしまう果敢無い花。
 何だかそれは、とても特別なもののように感じられた。
 いつか誰かとこの瞬間を見たい。果てしないような旅の途中で、この一瞬だけを共有できる誰かと。
 けれど、あまりにも単純な構造の爆発物は危険だとされ、以後その光を美釀が目にすることはなかった。
 子供の頃は果てしなく思えた旅路に、終わりがあることもやがて知った。
 気が遠くなるほど長いこの路も、本当は花火と同じなのだ。何を「一瞬」と感じるか、それだけの違いだ。
 きっと、特別なんかじゃない。そう思った。
 けれども今、美釀の目の前で再び咲き誇った花火は、確かにその存在を示して煌いていた。
 何ものにも代えがたい。同じものはひとつとしてない。唯一無二の魂。
 そして、永遠のようなあの輝きもまた、長い長い年月を掛けて消えていくのだ。
 あの光を、鷲羽も此処から見たのだろうか。
 そんなことを思いながら、いつしか美釀も深い眠りへと落ちていったのだった。

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「あーん。待ってぇ、砂沙美ちゃ〜ん!」

 聞き覚えのある情けない鼻声が、近付いてきた。
 その方角を見なくとも判る。美星だ。
 しかし、そのシルエットは妙にかさ高く、何かを両手いっぱいに抱えているようだった。

「もーっ、美星お姉ちゃん遅いよぉ」
「だってぇ、前が見えなくって……ふぎゃあっ」
「わぁっ!大丈夫!?」

 半泣きになりながら、今しがたぶちまけたものを掻き集める。
 少し先を歩いていた砂沙美も、急いで引き返して美星を手伝った。
 まったく、どっちがお姉さんなのか判らない。だからこそ、この二人は大の仲良しなのだが。
 そこいらに転がったぬいぐるみを拾い終えると、美星の腕には先ほどの小山が戻っていた。

「あ、砂沙美に美星。やーっと帰ってきやがったか」
「おかえり!遅かったね、二人とも」
「すみませ〜ん。ちょっと夢中になっちゃって」

 その夢中になった結果が、今抱えている大量の人形であるらしい。
 それについて質問しようとした天地の脇を、砂沙美が興奮気味にすり抜ける。

「ねぇねぇ!花火、すごかったねぇ!お姉さま!」
「あら、ちゃんと見えたのね。良かった、人ごみで見られなかったんじゃないかと思って心配してたのよ」
「美星お姉ちゃんが肩車してくれてねっ。すっごくキ
レイだったの!」
「そうだったの。ありがとうございます美星さ……」
「いえいえ、どういたしまして」

 のほほんと笑う美星だったが、阿重霞はお礼の途中で言葉を飲み込んでしまった。
 よく見ると、ぬいぐるみのすべてがまったく同じタイプのもので、しかも決して可愛いとはいえない微妙なクオリティだ。
 それらの無機質な瞳たちが、美星の腕の中からこっちを見つめていたのでは、頬が引き攣るのも仕方がないというものである。
 ぬいぐるみ一つ一つはそこまで大きくはないが、それでも魎皇鬼くらいの子供であれば抱えるのがやっとというくらいのもの。
 普通、屋台のくじびきでは、このサイズのぬいぐるみでもなかなか当たらないものだが、そんな「普通」は美星には通用しない。
 目を丸くしている面々を尻目に、たくさん引いたらたくさん当たったんです〜、と事も無げに言ってみせるのだった。

「と、ところで砂沙美。その荷物は何?」

 妹の方に向き直った阿重霞の目に留まったのは、その両手に持たれた2つの紙袋。
 砂沙美が持つには少し大きいようで、地面に引きずりそうになっている。
 その膨らみからしても、かなりの量の何かが入っているらしい。

「あ、これ?これね、美星お姉ちゃんがくじ引きで当てたんだよ」

 まるで自分のことのように得意げな顔をしてみせると、砂沙美は袋の口を広げて中身を披露した。
 瞬間、再び固まる阿重霞。横から覗き込んだ魎呼も、うげっと顔をしかめた。

「くじ引きで当てたって……これぜーんぶかよ?」
「うん!」

 無邪気に元気よく返事をする砂沙美。
 その横で、照れながら頭を掻いている美星に、突っ込もうという気が起こる者はいない。
 袋の中には、美星が抱えているのとやっぱり同じ人形が、所狭しと詰まっていた。
 どうやったらこんなに同じものばかり当てられるのか。というか、これだけのぬいぐるみを一つの屋台で当てたのだろうか。
 だとしたら、そのテキ屋があまりにも不憫である。
 山のように折り重なったぬいぐるみの、同じ顔を見比べながら、

「やれやれ。毎度ながら、運がいいんだか悪いんだか判らない子だね」

 何の気なしにそう呟くと、鷲羽は天を仰いだ。
 祭りの後の、けぶった空。この霞の向こうに、今もどこかで燃えている命の残り火がある。
 荒れ果てた小惑星から見たその輝きを、忘れることはないだろう。
 隣にいた、少しばかり優しすぎた人のことも。

「鷲羽ちゃん?」

 わいわいと家路を行く他の女性陣から離れ、一人、空を見上げてじっと動かない鷲羽。
 心配した天地が声を掛けると、鷲羽は、ゆっくりとした動作で視線を下ろした。
 珍しく鈍い反応だ。

「天地殿……」
「行こうよ。花火はもう終わったよ」

 そう言っても、鷲羽は天地を見つめたまま、まだ立ち尽くしている。
 天地には――いや、ここにいる鷲羽以外の誰にも知りえない時間を、どう伝えればいいのか考えあぐねているようだった。

「どうか……した?」

 何か言いたげで、でも言えないでいるような。
 僅かに開いた唇が、どことなく悲しそうに見えて、天地は恐る恐る問い掛けた。
 自分みたいなちっぽけな人間が、彼女の何を受け止められる自信もない。
 けれど、話して少しでも楽になることならば、傍にいて聞こうと思う。
 それくらいは、できるはずだ。
 そんな天地の想いを察してか、鷲羽はくすっと笑って、もう一度その眼を空に戻した。
 そうだ。急ぐことはない。
 彼ならきっと、自分を残して消えたりはしない。

「知ってる?宇宙にも花火があるのよ。何万年も輝き続ける、消えない花火が……」

 近く、遠く。
 何百年、何千年という時を、簡単に行き来してしまう鷲羽の心。
 それを捕まえていようなんて、思わない。
 捕まえてほしいなんて、望まない。
 大切なのは、今、帰るべき場所なのだ。

「何万年か。何だか、気の遠くなるような話だなぁ」
「そうね。だけど、それにも必ず終わりはやってくる。そしてまた始まるの……その繰り返し」

 鷲羽がどういう想いでその言葉を言ったのか、本当はよく判らなかった。
 けれど、今も昔も変わらないのは、誰もが永久不変の法則の中で生きているということ。
 何故だか、そんな風に思えた。
 そしてそれは、とても美しいことのように感じられるのだ。

「見てみたいな」
「え?」
「その、宇宙の花火ってやつを。きっとすごいんだろうね」
「そりゃあそうよ。さっきのなんか、目じゃない大きさだかんね」
「あはは、さすが宇宙規模。いつか俺も見れるといいなぁ。鷲羽ちゃんに頼めば、見られるかな?」
「……さぁ、どうかしら?言っとくけど、高いわよ。何たって、宇宙一の天才科学者の相談料だもの」

 ニヤリと言われて、すぐさま天才マッドサイエンティストの要求する代償として考え得るものすべてを思い浮かべてみた。
 そのどれもこれもが、ろくでもないものばかりだったので、天地は密かに苦笑いを噛み締める。
 ほんの一瞬、鷲羽が言葉に詰まっていたことは、知らないままだった。

「宇宙の花火か……綺麗なんだろうな」
「うん……」

 この時。
 あと一発でも花火が打ち上げられていれば、もしかしたら天地も気付いたかもしれない。
 けれど、既に花の時は終わり、空は沈黙を取り戻している。
 灯りといえば、霞掛かった月の白い光だけ。
 はにかみながら小さく頷いた鷲羽の姿を照らすには、それはあまりにも弱い光だ。

「今日の花火も、綺麗だった」

 ぽつりと落としたその言葉。
 天地がかろうじて拾った途端、それは音もなく夏の空気に溶けて消えた。
 何故だろう。自分よりも遥かに年上なのに、突然どういうわけか、天地は鷲羽をとても近くに感じた。
 同じものを見て、同じ気持ちを共有したからかもしれない。
 鷲羽だけじゃない。皆、生きてきた時間も場所も違う。
 けれど、そんなことはきっと、あまり問題ではないのだ。
 ただ、できるだけ一緒にいられたら。悠久の時も、今のこの瞬間も。
 夜のとばりは、すべてを隠して包み込む。
 どこか遠くの星だけが、赤く染まった鷲羽の頬を見ていた。

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