.

.


 ピュアレッドの口紅。DIESELの切りっぱなしのキャミ。パンツはフェイクレザー。鏡の中に、小生意気な私が出来上がる。気分が滅入って眠れなさそうな夜は、ラボにもどって研究に没頭するのが一番いい。研究も進むし、余計な事は考えずに済むから。
 私は、数枚のフロッピーが入った鞄に、ジンから貰った施設の裏口の鍵とラボの鍵を放り込んで部屋を出た。
 自宅のマンションからラボまではそう遠くはない。何となく、あまり音をたてないようにして、私は使い勝手を知り尽くした建物の中に入った。ラボのある廊下まで来て、ふと立ち止まる。ラボの明かりがついていたのだ。腕時計に目をやると、夜の9時半を回っている。こんな時間まで人が?そういえば、微かだが話し声も聞こえる。誰か、実験の残りでもしているのだろうか……。

(……もし、ドアを開けて……誰もいなかったら……)

 こういう時って、一番考えたく無い事を考えてしまうものなのだと、痛感した。
 実は、何を隠そう私は、この手の話にはめっぽう弱くて……これは、あのジンをも笑わせたほどの事実として語り継がれ……ては無いけど……ってそんな事はどうでも良かった。
 とにかくこんな所に突っ立っていても始まらない。私は何とかラボの真ん前まで来ると息を潜めた。何の事は無い、声の主は、チームメンバーの男だった。二人居るらしい。やはり、何か作業でもしながら話し込んでいるのだろう。先客が居るのなら、これ以上中に入る必要は無い。誰かと一緒に作業を進めるのは、気が進まないからだ。帰ろうと身体の向きを変えかけた、その時、声が飛んできた。

「おい、誰だ!」

 やや緊張した声。こんな時間の来訪者を、不審に思っているのだろう。仕方なく、私はドアを開けた。

「……あたしよ」
「ああ、シェリーか……」
「どうした、こんな遅くに」
「自分のラボに来ちゃ、悪い?」

 わざと溜息混じりに言ってやる。入った以上、じゃあさようなら、というわけにも行かないので、とりあえずパソコンの電源を入れた。適当に見計らって、さっさと帰ろう。その前に彼らが帰ってくれても、おおいに構わないんだけれど……。

「サボった分を片付けに来たのか?何が“自分の”だ、いつも来ねーくせに」
「余計なお世話よ」
「テメェ、いっつもカンジ悪ィんだよ」

 私に質問した男とは別の男が、苛立ったようにそう吐き捨てた。

「あら、結構だわ……」
「ふざけてんのか?」
「うるさいわね……邪魔するようなら出て行ってくれる」
「あんだと……」
「おい、止めねーか!」

 もう一人が制止して、

「なぁ……おまえ、ジンとデキてるらしいじゃねぇか」
「……関係無いわ……」
「オレらとも遊んでくれよ」

 勝手な事を言いながら私の腕を捕らえようとする。無性に腹が立った。彼らは何の権利があって、こんなにも私を不愉快にさせるのか。ジンと私が何だろうと、どうでもいいじゃない?彼らにはそれを尋ねる権利も知る権利も無いし、私にだって答える義務なんて無い筈だ。
 私とジンの関係ですって?そんなもの、どこにも無いわ。だって本当だもの。

「馬鹿にしないで欲しいわね。あなた達なんか、相手にすると思ってるの?」
「売女が気取りやがって!」
「誰が……」
「金やいいポストをチラつかせりゃ誰とでも寝るくせに!汚ぇ女だぜ」
「ちょっ……止めてっ」

 冷静でいるつもりなのに、私のアタマはどこかひどく興奮していた。自分のしようとしている事が読めない。自分をコントロールできない。おかしい。こんなのって、有り得ない。
 私は夢中で手近なものを掴み、彼らに向かって投げ付けた。

「ぎゃあああああっ」

 獣のような叫び声に、一瞬、失っていた冷静さが甦る。男のひとりが顔を抑えて床に転がった。

「て……めぇ……何したんだよっ……」

 もうひとりが蒼ざめて私を睨む。
 私は、何をしたの……?
 顔を抑えた両手の指の隙間から、男のただれた顔が覗いた。

「てめぇ!待て!!」

 後はただ夢中で走った。どこをどう走ったのか判らない。
 あれは、きっと何か劇薬だったのだ。
 めちゃくちゃに走り続けて、気付いたら私は自分の部屋の玄関に座りこんでいた。
 あの男が悪いのよ。私を辱めようとしたから。
 ああ、誰か。誰か助けて。私を二度と還れない海に閉じ込めて。
 私はドアの鍵を何度も確認し、窓も施錠してカーテンを引いた。それから部屋の明かりも消した。
 吐き気が込み上げてくる。

 その夜は眠れなかった。