.

.


 いつのまにか海に来ていた。

 空は晴れていて、陽射しが肌に気持ちいい。

 昨日、お姉ちゃんに会った。

 だから、今日は、落ちついている。

 精神が安定している。

 大丈夫。

 例の、薬を投与された人物の家へ、2度ほど調査に行った。

 その人物の名は、工藤新一。

 ちょっとした有名人らしい。

 なのに、捜索願の一つも出されていないというのはどういう事だろう。

 彼の死体は見つからなかった。

 しかし、生活の痕跡も無かった。

 考えられることは、そう、彼は、生きているのだ。

 どこかで。

 海面のうねり。

 光の反射。

 キラキラと輝きながら、私の眼球に、脳に、貼りついて剥がれない。

 音。波の音。

 頭がぼんやりする。駄目だ。

 子供。が、居る。女の子。海に、入ろうとしてる。

 止めなきゃ。危ない。

 待って。

 危ない。飲みこまれたら、戻ってこられない。

 あそこは、あの中は、永遠、だから。

 海面のうねりが、胎動のようにやわらかい。

 ――海は、すべての母親――

 そうか、お腹の中へ。そう、還るだけ。

 危ない事なんて、ないんだわ。

 永遠の安らぎ。至福の時間。終わる事のない。

 女の子を、止める必要はない。

 海へ。海へ入って行く。女の子。お姉ちゃん。

 お姉ちゃん。置いて行かないで。

 これはあの時の記憶だ。遠い日の。

 お姉ちゃん、どうしてそんな所に居るの?

 私を置いて行かないで。

 お願い、私も連れてって。

 私を一人にしないで。









 不意に、後ろから引っ張られる衝撃を感じた。
 私は勢い余ってしりもちを付く。ばしゃん、と海水が跳ねた。

「冷て――……」

 男の子だ。歳の頃合は、小学1年生ぐらい、と言ったところか。私のスカートの裾を掴んだまま、胸の辺りまで水に浸かっていた。

「………………」

 私は、何をしていたのだっけ。

「何、考えてんだよ。そっから先は深いだろーが!死ぬ気かよ?今日は天気はいいけど、風がきついんだ。海が荒れてるだろ、見て判んねーのかよ」

 随分と生意気な口をきく。

「死んだらなぁ、何もかも終わるんだよ。苦しみも幸せも、何もかもな。生きてるより死んだ方が、よっぽどラクな事もあるだろーさ。けどな、みんな生きてるんだよ。みんなひとりじゃねーから、生きてるんだよ。自分の事、必要としてくれてる人が居るから。それを守りたいから……」

 そこまで言った時、遠くで、何か名前を呼ぶような、甲高い女の子の声がした。

「あ、呼んでら……じゃーな、死ぬなんて考えんなよ!自分には何もないと思ってても、見落としてる事だっていっぱいある筈だぜ」

 男の子が行ってしまってからも、私はその場から動けなかった。
 見落としている事?
 お姉ちゃんの顔が浮かぶ。
 そうよ、私はひとりじゃない。
 お姉ちゃんだって、そう思ったから、あの時戻ってきたんじゃない。
 どうして言われるまで気付かないのだろう。いつもいつも、私は。
 もし私がひとりだったなら、今頃とっくに死んでいた筈だ。
 私は立ちあがって、濡れた裾をしぼった。
 そして、あの妙に大人びた男の子の顔を、よく覚えていない事に気が付いた。

 そう、私にはお姉ちゃんが居る。

 大丈夫。

 大丈夫だ。

 それから2ヶ月とちょっとの間、私はラボへ行かなかった。
 毎日ずっと、海を見たり、ぼんやり過ごした。

 至福の時は、すぐ近くに在るように、思えたのに。