.

.

 
 いつのまにか眠っていたらしい。
 チャイムが鳴って、目が覚めた。
 やっぱりね。きっと来ると思ってた。
 知ってるんだから。あなたは私を、放ってはおけないんだものね。
 そんな事をぼんやりする頭で思いながら、私は鍵を開ける。

「……いきなり飛び出したそうだな。勝手な行動はつつしめ」
「勝手だとか何とか、あなた達には言われたくないわね」

 私は何故、彼に抱かれたのだろう。彼が求めたから?違う。だって、それならどうして、私は彼を拒まなかったのだろうか。抱かれるたび切なかったのに、決して幸せなど感じなかったのに、それでも彼を受け入れたのは、彼の中に、自分と似た匂いを感じたからではなかったか。何者も寄せ付けようとしない、彼のその孤独に、どうしようもなく惹かれたからではなかったか。悲しいものがふたつ合わさったところで、それは和らぐどころか、より濃く深くなるだけだと知っていたのに。
 彼の愛撫を制して、私が上になった。彼の首筋に舌を這わせながら、右手を枕の下へ忍ばせる。ふと、冷たい感触が指先に伝わった。私は迷わずそれを掴む。

「動かないで」

 ―――私、何をしてるんだろう。
 一瞬、思考回路が冷えきる。止めるべきだ、こんな馬鹿げた事は。
 そう思うのに、私の手には拳銃が握られていて、銃口は彼の額に押し付けられたまま、動こうとしない。

「姉を殺したのはあなたね」
「…………………」
「質問に答えて」
「……何の真似だ?」
「質問に答えるのよ」

 こんな時でも、彼の瞳は普段と変わらず、私を真っ直ぐ見据えている。冷たい腐臭。獣の眼……常に死と隣合わせの。そして、その中にある種の安らぎが存在するのを、私は知っていた。

「その必要は無いと思うが?」
「どういう意味?」
「答えは判りきっていると言うことさ」

 その瞬間、私は自分が絶望しているのに驚く。物心ついた頃から此処に居て、感情も欲望も邪魔になるだけだったのに、一体何を望んでいたと言うのだろうか?枕の下に拳銃を隠して、何を信じていたと?
 判らない。

「……殺してやるわ、あなたなんか」

 口に出して初めて、その意味の軽さを知った。なんて簡単で空っぽな言葉。

「殺せよ」

 彼は私の身体を押し遣ると、服を掴んで立ち上がった。

「殺したきゃ、殺せ」
「………………」
「チャカなんか用意しやがって、そのつもりだったんだろ」
「あなたが来ると判っている時は、常に側に置いていたわ」

 彼が私の方に向き直る。その瞳はいつもと違わないようで、けれど私には判った。
 悲しみの色。ほんの一瞬だけ、浮かんだ。彼が初めて見せた、瞳。
 狡いのよ。そんなの勝手だわ。

「そうか」

 既にきちんと着込んだコートの内ポケットをまさぐる。彼の手に握られていたのは、拳銃だった。しかし、普段彼が常備している物とは違う。

「そいつは奇遇だな……オレも同じだ」
「あら……わざわざあたしの為の銃を用意してくれてたのね」

 不意に、息が苦しくなった。心臓が不規則に打って、その度に胸が痛む。
 なんてことだ。こんなのって、有り得ない。「胸が痛む」だなんて。
 笑いが込み上げてくる。だって、可笑しいじゃない。

「で、どうする気?あたしを撃つ?」

 拳銃は握られてはいるが、私を狙っていない。
 彼も、彼の銃口も沈黙している。 

「殺してみなさいよ、あたしを」

 何を言ってるのか、自分でもよく判らなかった。私はひどく混乱している。それだけは判っていた。
 彼が拳銃をこちらに向け、引き金に手を掛けた時、私の身体は大きく痙攣した。
 耳を突き抜けるような音。躰ごと引き裂かれる。この心も何もかも、千切れて塵になってしまえばいい。早く。早く私を羊水の中へ還してよ。
 けれど、それは叶わなかった。火を吹いたのは、私の銃口だったからだ。弾は彼の頬を僅かにかすめ、白い壁に突き刺さった。どうして?どうしてこの男は、顔色一つ変えずにいられるのだろう?

「じゃあ今度はこっちの番だ」

 そう言うと間髪を入れずに、引き金を引く。私の傍らにあった硝子細工の置物が粉々になった。初めからそれを狙っていたかのように、綺麗に真ん中を撃ちぬかれて。

「……サイレンサーぐらい付けておけ。きっと、もうすぐ人が来るぜ。上手くやれよ」

 暫くの沈黙の後、彼は言い、そのまま部屋を後にした。ガチャン、とドアが濁った音を立てて閉まった。
 私は彼が来るたび拳銃を用意し、彼は私のところへ来るたび拳銃を持っていたのだ。
 ほら。ほらね。
 結局、私達は何も信じちゃいない。涙が流れた。
 判りきっていたはずの事実。なのに、それなのに、どうして?
 私は彼を殺せない。そして彼も。彼も私を、殺せない。繋がれているから。
 私達は永遠にどこにも還れないのだ。
 涙は後から後からあふれてきて、私は床に膝を付いた。冷たい。どうして私は泣いているのだろう。
 声を上げて泣く事なんて、忘れてしまった。
 人は皆、泣き叫びながら産まれるというのに。

 私達は、永遠にどこにも還れない。